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土佐のオヤジの音楽昔話 ~ あの頃の曲を聴いてみた ~ コール・ミー
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『お遊戯』回顧録

2007.11.02 Fri
 高知市では、10月の間、週末になるとあちこちで運動会をやっていた。幼稚園や小学校、町内会の運動会とその内容は色々だけれども、それぞれに盛り上がった事と思う。
 小学校の頃、運動会はとても楽しみであったのだが、1つだけ嫌な事があった。『お遊戯』というやつである。当時の僕は、徒競争や綱引きや障害物競争などは大好きなのに、唯一、ダンスだけが、死ぬほど嫌いだった。なぜか非常に恥ずかしかったのである。
ゴールデンベスト 特に印象に残っているのは、小学1年生の時のダンスで、曲目は水前寺清子『三百六十五歩のマーチ』。あの「幸せわぁ~っ、歩いてこない~、だ~から歩いて行くんだねぇ~。」ってやつである。この曲で、両手に旗を持って元気よく踊るのである。これには参った。ホントに嫌で、全くやる気がなく、見に来たお袋に、運動会が終わった後で、
「あんた、踊りをもっと真面目にやりなさい!みっともない!」
 と、散々怒られた記憶がある。それだけ僕のダンスには、やる気の無さがみなぎっていたのだと思うのだ。
 しかし、ダンスは嫌でも、水前寺清子は、面白い。この時の曲『三百六十五歩のマーチ』も大好きだが、「ボロは着てても、心の錦~。」『いっぽんどっこの歌』などは、この歳になって聴くと、歌詞の意味が分かりすぎて、一人、ウンウンとうなずく事になる。こういう子供の頃に何度も聴かされた曲は中年になっても絶対に忘れないものだ。水前寺清子、最近テレビで見かけないけど元気だろうか?

 さて、その後の僕は、小学6年まで毎年運動会のお遊戯を嫌々ながら切り抜け、次に運動会で『お遊戯』を披露する事になるのは、小学校を卒業して6年目の高校3年の秋の事である。 サタデー・ナイト・フィーバー
 僕の高校では、毎年運動会で高校3年生がクラス毎に自分達で曲を選び、振付をし、衣装を考えて、ダンスをするのが恒例の出し物であった。 
 当時は、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が封切られて2年ほど経ち、高知の田舎でも、ディスコが大流行していた頃で、当然、クラスの皆でディスコ風のダンスをする事になった。
 その頃の僕は、小学校の頃とは全く違って、人前で踊る事に全然抵抗が無くなっていた。と言うのも、中学に入ってからギターを弾き始めた影響で、高校ともなるとバンドでギターを演奏しながら、平気で人前で腰を振ったりしていたからだ。また、当時、高知市内に何軒かあったディスコへもデビューを果たし、大音響の中で踊る事が、面白くてたまらなかった。人間、変われば変わるものである。
ベスト・オブ・ブロンディー この時に踊った曲は、当時のディスコ調のヒット曲をつなぎ合わせて、4~5曲だったように思うが、中でも、印象に残っているのが、ブロンディ『コール・ミー』だ。 ブロンディはボーカルのデボラ・ハリー率いるロックバンドで、パンクっぽい雰囲気があるバンドだったが、なんせ、デボラ・ハリーが超美形なもので、個人的にはそちらの魅力の方がいつも気になるバンドだった。確か、この曲のサビの部分の「コール・ミー!」と叫ぶ部分で、右手を『サタデー・ナイト・フィーバー』ジョン・トラボルタみたいに突き上げて、腰をくねらせて、踊っていたように思う。今考えると、大マヌケな踊りであるが、当時の自分達は大真面目で、
「チョーカッコいい!」
と、思っていたのだ。
最近になって、
「当時のダンスのVTRでもあれば、大笑い出来るのになぁ・・・。」 
と、実に悔しい思いがする。

 さて、またまた時は流れて、高校を卒業して7年が経ち、僕は社会人になっていた。高校卒業後、大学時代はずっと運動会にはご無沙汰だったが、社会人になると、会社の運動会がある。僕の就職した会社は、東京が本社で、毎年、練馬区の豊島園のグラウンドで運動会は行われた。関東圏にある支店の対抗戦になっていて、入社3~4年までの若手は半強制的に参加させられるイベントだった。毎年当日までは面倒臭くて、
「雨でも降らないかな~。」
 なんて考えているのだが、いざ運動会が始まると、最後の打ち上げまでノンストップで盛り上がってしまうような、面白いイベントだった。天地真理・コンプリート・シングル・コレクション この運動会では、入社2~3年目までの若手が参加する応援合戦があり、どこの支店も趣向を凝らした演出をして、笑いを取っていた。入社2年目の僕がいたチームは、女装して、テニスルックで、天地真理『恋する夏の日』を踊る事になっていた。またも、『お遊戯』である。同期の女の子に入念に化粧を施してもらい、スコートはいて、ラケットを持った姿は、我ながらイケてると思った事だ。
 天地真理は、僕が小学校3~4年生の頃、圧倒的に人気があったアイドルだ。テニスルックがよく似合い、確か「白雪姫」なんて呼ばれていた。僕も子供心に、
「かわいいな~。」
 と、思った記憶がある。
天地真理のかわいさには程遠いけれども、女装した僕達の踊りは、その年の最優秀応援合戦賞を受賞して、打ち上げでのビールが実に美味かった事を思い出した。

 さて、またしても時は流れて、その後、僕は31歳の父親になっていた。この時は、幼稚園の運動会で、息子と一緒にダンスをさせられた。これこそホントの『お遊戯』だ。曲は『アンパンマン体操』アンパンマン アンパンマンの作者、やなせたかし氏は、高知県の出身だ。
「だから、どうした!?」 と言われると、話が続かないのだが、子供達に絶大なる人気を誇るキャラクターの作者が高知出身と言う事は、単純に同じ土佐人として、嬉しいという事なのだ。
 『アンパンマン体操』は、きちんと決められた振付があって、元気な先生と子供達を手本に、額に汗して、必死で踊った事を思い出す。どのお父さんの動きもぎこちないが、結構楽しんでいたと思う。
 このアンパンマンの『お遊戯』だけは、我が家のVTRにキチンと保存されている。オヤジは楽しそうに踊っているけれども、僕個人の歴史の中では最もつまらない『お遊戯』が保存されていると思っている。 これが、僕の運動会での『お遊戯』の歴史だ。踊った曲は、どの曲も印象深く、脳裏にこびりついている。
 僕は、これからの人生、まだ『お遊戯』をする機会があるのじゃないかと思っている。
「さて、次回のお遊戯はいつ、どんな曲だろうか?老人ホームで、ばあさんとフォークダンスでも踊るのだろうか?」 なんてね。
 ちょっと気になっているのは確かだ。。


    
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Category: 思い出の曲話 | Comment(2) | Trackback(1) | top↑ |