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土佐のオヤジの音楽昔話 ~ あの頃の曲を聴いてみた ~ フローラ・プリム
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フローラ・プリムの「サンバ・ミッシェル」で思い出す、ライブ無きセッション・バンドの話。

2014.10.24 Fri
エヴリデイ・エヴリナイト

 久しぶりに昔話を書いてみようと思う。前回のお話を書いたのが今年の始めなので、ボヤボヤしてるうちに9ヶ月も時間が経過してしまった。そんなわけで先を急ぎたいのだ。
 僕は、1984年の6月に2年間程在籍した軽音楽サークルを辞めた(←その辺の話は前回の記事で)。原因は、僕が自分の大学以外の学生をどんどんバンドに引っ張り込んで金も払わず部室で練習を繰り返し、一方でサークル内の様々なバンドに誘われてもそれを断り続けた事にあった。その上、この部外者ばかりのバンドがメンバー2人の脱退で活動停止状態となり、時期を同じくしてサークル全体の音楽志向がロックへ傾いて行く中で、最終的には自分の居場所が無くなったのだ。そんな事から自然と足は大学から遠のき、僕の生活は、必要な授業とゼミの時間以外は大学にいない毎日となっていった。
 ・・・とまぁ、こんなふうに書くと、
「おい!ずいぶん寂しそうじゃないかよ!」
 なんて思われるかも知れないが、実はそうでもなく、音楽的には結構楽しい毎日を送っていたのだ。
 その辺を説明すると、僕は色々な大学の学生をバンドに引っ張り込んだ経緯から、自分の大学以外の軽音楽サークルの人間を何人か知っていた。特に西武池袋線の江古田駅を挟んで僕の大学とは反対側にあったM音大には知り合いが多く、僕はこのM音大の構内を頻繁にウロウロしていた記憶がある。
 そんな音大絡みの友人にH本君という人物がいた。彼はM音大のピアノ科に籍を置く3回生で、何度か江古田の呑み屋で彼の友人達を交えて酒を飲んだ事があった。そんな経緯から、この頃の僕はH本君が主催するサンバ系のバンドでベースを弾いていた。で、毎度の事ながら前置きが長いが、今回はこのバンドとH本君の話を聞いて欲しいのだ。
 さて、僕が参加していたこのバンド、女性ボーカルがメインで、キーボードがH本君ともう一人、他にはギター、ドラム、そして僕のベースと6人編成であった。ボーカルのYちゃんとキーボードのH本・S田の3人はM音大の学生、ドラムは僕と同じ大学のジャズ研の3回生でM岡君、ギターは1年前に某大学を卒業したフリーター(←名前忘れた・・。)であった。
 とまぁこう書けば、このバンド、いかにも普通だが、実際はこの6人で練習が行われた事は1度もなかった。H本君が練習の度に色々な人間を連れてくるからだ。それは、トランペットやトロンボーン、サックス等のブラス系の人間だったり、半分プロのパーカッション奏者だったり、コーラスと称して数名の音大生の女の子を参加させたりと、とにかく練習に行ってみるまで誰が現れるか分からないのだ。そんな調子なので、バンド練習というよりもセッションに近く、毎回新しい人間と顔を合わせて刺激的な一方で、
「これはバンドってモノなのか?」
 なんて疑問が頭に浮かぶ毎日であった。
 このセッション的なバンドの練習で一番記憶に残っているのがフローラ・プリム「サンバ・ミッシェル」という曲だ。この曲は高速でうねるサンバのリズムが特徴で、ホーンセクションとパーカッション、そして女性コーラスを入れると、実に盛り上がる気持ちの良い曲だ。僕は元々サンバ系のフュージョンに興味があったので「サンバ・ミシェル」が一発で気に入り、
「おお!俺の目指す音楽はコレじゃ!ココにあったか!」
 などと、当時は馬鹿みたいに興奮していたものである。
 この頃の僕は、自分の大学の軽音楽サークルを辞めた事で練習場所を無くした不安がある一方で、お手伝い程度に参加したH本君のバンドが俄然面白くなり、
「なんとかこのバンドを成功させようじゃないか!」
 なんて事を考え始めていたのだ。そして、この考えはドラムのM岡君も同じで、手前味噌ながら2人共、
「このバンドでライブをやれば絶対にウケる!」
 そう信じて疑わなかったのだ。
 そんなわけで、我々2人はある日の練習の後でH本君を江古田駅前のマクドナルドへ誘った。梅雨の時期で、肩からかけたベースのケースが酷く濡れていた記憶がある。
「嫌な雨だなぁ・・・。」
 なんて思いながらコーヒーをすすりつつ、我々2人はH本君に、
「このバンドでライブハウスへ出ようぜ!絶対にウケるって!」
 そう力説したのを覚えている。
 ところが意に反して、H本君の反応はイマイチだった。
「えっ!俺、人前で演奏しようなんて思ってないんだけど。」
 なんて事を言い出すのだ。
 詳しく話を聞くとこうだ。そもそもH本君の中でのバンドの位置付けは、自らが本業で勉強しているクラシックピアノに飽きた時の息抜きであり、週に1回か2回、サンバが好きなメンバーが集まって音が出せればそれで良いとの事なのだ。その上、自分は苦労してチケットを売ったり、バンドのとしての結束的なモノに縛られるのは嫌だという事であった。
 こう言われてしまうと、我々2人は意気消沈するしかない。M岡君と二人、
「・・・ったく、音大生の考える事は俺には分からん!」
 なんて文句を言いながら、この日は帰路についた事を覚えている。
 しかし今になって考えてみると、バンドに対するH本君と僕の温度差はよく理解出来るのだ。僕は単に人前で演奏し、ウケる事をバンドの目的としていたわけで、当時バンドをやってる大学生の大半は僕と同じ考えだったと思う。しかしH本君は音大生だ。ピアノを職業として生きて行く事を前提としており、この段階では人前でウケるなんて事よりも、将来の為にピアノの練習を優先する事が重要であり、その厳しい練習の息抜きにバンドが存在したのだ。当然、僕とは根本的にバンドに対する考え方は異なり、『ライブをやろう!』なんてヤヤコシイ話を持ってこられるのはH本君にとっては実に迷惑な話だったのだ。
 その後このバンドでのセッション的な練習は夏休みを挟んで11月頃までずっと続いた。「サンバ・ミッシェル」をはじめ、色々な曲を練習して、その都度大いに盛り上がったが、僕はこの間ずっと残念でならなかった。と言うのも、このバンドは、それまで自分がベースを弾いてきた中で最も音のまとまりが良く、個々の楽器のテクニックも非常に高かったからだ。毎回練習終りにドラムのM岡君と交わす会話は、
「もったいないよなぁ・・・。」
 ばかりだったと記憶している。僕は、
「H本の負担を無くしてお膳立てをすれば、彼もやる気になるだろうか?」
 とか、
「自分の大学の学園祭に紛れ込んでゲリラ的に演奏するか?」
 とか、色々な事を考えたのだが、結局人前での演奏は実現する事無く、このセッション・バンドは終ってしまった。そして、同時に僕とH本君との交流もこのバンドと共に終ってしまったのだ。その後、江古田駅で何度か彼を見かける事はあったものの、少し言葉を交わす程度で、以前のように酒を飲んだり、サンバの話をする事は無かったように記憶している。
 ・・・とまぁ、そんな事を思い出しながらフローラ・プリム「サンバ・ミッシェル」、久しぶりに聴いてみました。で、最初に思ったのは、
「俺、こんなに難しい曲のベース、よく弾いてたなぁ・・・。」
 って事。スピードと言い、リズムと言い、自分がこの曲をコピーした事が信じられないのだ。
 一方で頭に浮かんで来るのはM音大の小さな部屋で、酸欠になりそうなくらいたくさんのメンバーでセッションをしている風景だ。今考えれば、皆楽しそうではあったが、どことなく冷めていたような気もする。そんな中、一人ノリノリでベースを弾く自分の姿を思い出すのは、ちょっと恥ずかしくもあり、懐かしくもあった。そして、普通なら記憶の彼方に忘れてしまうであろうH本君という友人をはっきりと思い出させてくれる「サンバ・ミッシェル」という曲に感謝したいと思ってしまった。音楽の力って凄いと思いますね。

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Flora Purim Samba Michel


 
[Music Flora Purim]

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