山口百恵に正統派歌謡曲を感じて
「最近は正統派の歌謡曲を歌う歌手があまりいなくなってしまったなあ~。」
と思った。
僕が若い頃の紅白歌合戦は、いわゆるプロの作詞家と作曲家が作った曲を歌う歌手がほとんどで、合間に、その年に話題となったニューミュージック系の歌手やグループがちょっと場違いな感じで登場するというもので、現在のように、歌っている歌手のほとんどが歌以外のバラエティーで活躍していたり、バンド系の曲や、フォーク系のグループが幅をきかすという図式はなかったように思う。
演歌歌手の皆様は、僕の考える正統派の歌謡曲路線を今も進んでいる気がするが、ここで僕が言っているのは、アイドルを始めとするポップス歌手の事なのだ。
最近は、テレビの歌番組が少なくなったので、しょうがないとは思うのだが、年末のこういう番組を熱燗飲みながらボケーっと見ているオヤジは、正統派の歌謡曲の歌手が激減した事に、ちょっと不満を感じてしまうのだ。
まあ、こういう事をクドクドと言い出すと、実にオヤジっぽい事はよく分かっているのだが、言わずにはいられないのだ。(←そこがオヤジだって!)

さて、なんで、正統派の歌謡曲なんて話をするのかと言うと、昨年の秋口から、しばらく我が家のリビングで山口百恵のCDが流れていたからだ。女房が家事の合間に流していたこのアルバムは、「コンプリート百恵回帰」というタイトルで、往年の山口百恵のヒット曲を次々と楽しむ事が出来る。このアルバムを何度か聴いているうちに、
「山口百恵って、歌謡曲の王道、正統派だよな~。これこそ歌謡曲の醍醐味だよな~。」
という感じがしてきたのだ。
思い出すに、山口百恵という歌手は、僕が小学校の高学年の頃からテレビに顔を出し始め、高校3年の時に引退している。僕が様々な音楽を聴き始めた中学1年から高校3年までの間、ずっとトップ歌手として、歌謡界に君臨していた訳だ。
驚いたのは、当時歌謡曲にはあまり興味がなかったにも関わらず、このアルバムのかなりの曲が鼻歌以上に歌える事だ。山口百恵なんて全然意識してなかったのに、音の記憶が僕のボンクラな脳味噌に刻み込まれている事にちょっとショックを受けてしまった。

「そうそう、こういう歌が街中で流れていた時代が確かにあったぞ~。」
というなんとも懐かしい思いと、
「最近は、歌でこれだけ色気を感じさせる歌手はいないよな~。しっかし、色っぽいよなあ・・・・。」
という、オヤジ丸出しの驚きを感じてしまう。
で、このオヤジが好む色気の原因は、彼女の容姿と歌声によるところも勿論大きいのだが、それぞれの曲の歌詞によるところも非常に大きいと思う。特に阿木燿子の詞はすごい。有名どころの「横須賀ストーリー」や「プレイバックPrat2」、「美・サイレント」等々、歌われている情景がリアルに立ち上がって来る。詞の内容は、決してハッピー・エンドになりそうな雰囲気は無く、独特の不安感や緊張感があるのだが、そんな情景、雰囲気を鼻にかかった声でクールに歌われると、オヤジはゾクゾクする色気を感じてしまうのだ。


冗談はさておき、僕が言いたかったのは、山口百恵のように、雰囲気と歌声で、曲の様々な情景を浮かび上がらせ、一つの世界を作り上げ、そこから、“色気”や“情熱”や、“渋み”のオーラを周りにビンビン発するようなポップス歌手がいなくなった事が寂しいという事なのだ。
今夜は名曲「さよならの向う側」でも聴きながら、再び山口百恵の魅力を噛みしめたいと思っている。
山口百恵 : さよならの向う側
[Music 山口百恵]
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Category: 憧れの巨匠話 | Comment(0) | Trackback(1) | top↑ |