YMOの「ライディーン」は東京への憧れ。の話
僕が高2の頃、土佐の田舎にもテクノ・ポップのブームが急にやって来た。僕はあのシンセサイザーを中心にした無機的な音で構成される曲があまり好きになれず、テクノ・ポップの中でも大御所のように言われていたイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)でさえも、
「なんかようわからん変なグループやにゃあ。シンセサイザーばっかり鳴らして。大体、こんな曲の何がおもしろいがな?」
なんて思っていた。
しかし僕のイメージとは裏腹に、YMO人気は学校でもどんどんと広がっていって、この前まで、
「やっぱり、キャンディーズのランが最高や~。」
なんて言っていた奴が、突然、坂本龍一がどうしただの、高橋幸宏がこうしただの言い初めて、非常に驚いた記憶がある。
また、YMOの影響は音楽だけに留まらず、ステージ上での人民服みたいな衣装や、普段のファッションも田舎の高校生には注目の的であった。
ちょうどその頃から高知市内の中心街から少し離れた場所にポツリ、ポツリとビギやメルローズやニコルといったデザイナーズ・ブランドのショップが出来始めた。
これをきっかけに、もみあげを剃り落としたヘルメットみたいな髪型に、真っ黒なデザイナーズ・ブランドを着て、にきび面にサングラスを掛けた高校生が帯屋町を闊歩するのが見られるようになった。
女の子もカラスみたいな服を着た、かりあげ頭の奴がうろうろし始めた。これを見て、うちのバンドのキーボードのI川君は、
「なんで不細工な女が、よけい不細工にするがなや?。あんな色の黒い、首の太い女が刈り上げたら、後ろから見たら、漁師に見えるぞ。おい。かつお船にでも乗れや~。」
なんて言っていた。
僕らがよく通っていた帯屋町のレコード店の大型テレビも、しょっちゅうYMOのライブの映像を流していが、自転車を止めて暫く眺めても、今一つ良さが分からなかった。唯一、ギタリストで参加していた渡辺香津美のテクニックには、
「さすがに上手いにゃ~。」
と思った記憶があるのだが・・・。
でも、そんなYMOの曲から一つだけ強烈に感じた事があった。それは、『都会』という事である。もっと具体的に言うと、
「これは、東京の音楽やな~。」
という事である。
「ライディーン」にしろ、「テクノポリス」にしろ、こんなに土佐の田舎者に東京という都会を感じさせる曲は初めてだった。
当時の僕は、YMOの「ライディーン」を聴くと、いつも、実際には行った事がなくて、全くの想像にも関わらず、六本木や赤坂の夜の街でデザイナーズ・ブランドをかっこ良く着こなした奴らが、おしゃれに遊んでいる光景が頭に浮かんでいた。
僕は少し前から、高校を卒業したら東京の大学に行き、バンドをやりたいと考え始めていた。そんな、東京に対する憧れを持つ田舎の高校生には、曲の好き嫌いは別にしても、YMOはなんとも胸が熱くなるようなグループであった事は確かだ。
今考えると、僕はなんとなく都会の雰囲気に浸るために、わざわざYMOのLPを友人に借りて、テープにダビングし、下宿の部屋で流していたんじゃないかな?・・・と思う。
さて、改めて聴いてみると・・・・。
「あらら~!?」
なんとも、シンセサイザーの音が薄っぺらに聴こえてきて、
「ん?当時の音ってこんな音やったんや~。これでも、最先端の楽器やったんやな~。そう考えると今の技術はすごいにゃ~。」
と、素直に30年近い時の流れと技術の進歩を音で実感してしまった。
そうは思っても、昔の音にも懐かしい味があるもので、CD全編、楽しく聴く事が出来た。でも、今となっては、「ライディーン」から、東京のおしゃれな夜を想像する事は、とても出来ないけれど、東京という街と僕とのつながりは、この曲がスタート地点だったのかも知れないと思います。
YMO : Rydeen
[Music YMO]
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Category: 高校2年の頃 | Comment(4) | Trackback(0) | top↑ |