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土佐のオヤジの音楽昔話 ~ あの頃の曲を聴いてみた ~ 大学1回生の頃
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シーウィンドの「プラ・ヴォセ」で思い出す初めてのフュージョンバンドの話。

2009.04.17 Fri
海鳥

 僕の大学生活も2か月が過ぎて6月に入り、鬱陶しい梅雨の季節が迫っていた。
 前回の昔話(←こちらです)で書いたように、僕は5月の終りに「新人バンド」と称してサークルのミニ・コンサートでベースを弾いて以来、2つのバンドから熱心な勧誘を受けていた。が、両方ともロックをやっているグループで、
「今更高校の時みたいにロックもないだろう・・。」
 なんて生意気な事を考えて、やんわりとお断りを続けていたのだ。
 今回は、そんな中やっと自分がやりたい音楽が出来るバンドが見つかった事を記事にしてみたいと思う。まぁ、何て事ない話なのだが聞いて欲しい。
 僕が所属していた「M」という音楽系サークルは、毎月、月初めに“部会”と称する集まりがあって、基本的にこの日は部員全員が1つの教室に集まりサークルの運営方法やコンサートの日程を決めたり、部費を徴収したりする事が行われていた。
 6月の部会に出席した帰り、僕は江古田駅へ向かう道で一人の先輩から話し掛けられた。
「君、フュージョンが好きらしいけど、どんなの聴いてんの?」
 そう話しかけてきた先輩は、どう見ても音楽サークルに所属している風には見えない実に地味な風貌の人だった。
 七三分けがそのまま長髪になったようなヘアー・スタイルに銀縁の眼鏡を掛けて、グレーのポロシャツに色あせたGパンを穿き、肩から黒い皮の鞄を下げ、何故か手には風呂敷包みを持っていた。
「君、K本君(←オヤジの本名です)って言うんだろう?この前、新人バンドでベース弾いてるの見たよ!俺K田って言うの。キーボード弾いてる3年。よろしくね。ちょっとさぁ~喫茶店付き合わない?コーヒー奢ってやるからさぁ・・・。」
 そう言って半ば強引に喫茶店に連れて行かれた事を覚えている。
 僕は、
「妙に強引で調子のイイ人だなぁ・・・。」
 なんて思いつつ、コーヒーを飲みながら、このK田さんと音楽や楽器やバンドの話をしたのだが、面白い事に僕の音楽の好みとK田さんの音楽の好みが実に近い事が徐々に分かってきたのだ。とにかくK田さんが話題に出すアルバムが僕の好きなミュージシャンのアルバムばかりだったので、非常にマニアックなフュージョン話で盛り上がり、ほんの1時間ほどの間に、僕はK田さんと意気投合してしまった。その上、K田さんが住んでいるのが、成城学園前という駅で、僕の住んでいる下北沢と同じ小田急線沿線と言う事もあり、その日はずっとフュージョン話で盛り上がりながら一緒に帰った事を覚えている。
 翌日、再びK田さんに会った時には、
「うちのバンドの4年のベースが就職活動で引退するので、お前代わりにやってみないか?」
 とバンドに誘われ、僕の方は、
「多分うちのサークルの中で、自分が好きな音楽が出来るのはココしかない!」
 そう思っていたので、二つ返事でバンドに参加する事を了解した。
 その日のうちに、
「来週、練習やるからシーウィンド『プラ・ヴォセ』って曲コピーしてきなよ。そんなに難しい曲じゃないからさ。知らなきゃダビングしてやるよ。」
 と、話はトントン拍子に進んで行き、僕は翌週までにK田さんが言ったシーウィンド「プラ・ヴォセ」という曲のベースをコピーした。
 偶然にも少し前に、僕は高校時代の友人のバンドが、この「プラ・ヴォセ」を演奏するのを聴いて、
「おお・・、いい雰囲気の曲じゃない・・。」
 なんて思っていた事があり、知ってる曲の強みからか、小一時間で簡単にコピーした事を覚えている。
 さて練習当日。まずK田さんは僕にバンドのメンバーを紹介してくれた。ギターが2名いてI沢さんとS籐さんで2回生と3回生。ボーカルとシンセサイザーは共に女性で、武蔵野音大4回生のS浦さんとN本さん。ドラムが何と16歳の高校生のK嶺君。K田さんがピアノで3回生。1年坊主の僕がベースと総勢7名編成のバンドであった。
 早速「プラ・ヴォセ」を練習したのだが、正直言ってこの時の僕は、自分の演奏云々よりも、周りのメンバーが出す音に感動して鳥肌が立っていた思い出がある。とにかく全員の出す音が洒落ていて、とてつもなく上手い。それまでロックしか演奏した事がない僕にとっては、正に夢見心地で、フュージョンを演奏できる喜びが体中に溢れ、『うひゃひゃのひゃ~状態』(←要するに嬉しいという事なのだ。)になっていた。
 こんな風に話すと実にオーバーに聞こえるかも知れないが、高校2年の頃からフュージョンバンドに憧れて、その後の浪人時代をなんとか切り抜け入学した大学のサークルでやっと自分の居場所が見つかった訳で、とにかく筆舌に尽くし難い喜びがこの一瞬にあった事を覚えているのだ。
 細かい話をして申し訳ないが、まずは高校生のK嶺君のドラムが無茶苦茶上手い。そしてギター2名のカッティングの多彩さ、K田さんの弾くローズピアノのセンスの良さ、N本嬢のシンセサイザーの雰囲気の良さ、ボーカル以外でもフルートを自在に吹くS浦嬢の器用さ、そしてK田さん、N本嬢、S浦嬢の3人のコーラスのカッコ良さ・・・、とまあ、言い始めたらキリがないほど彼等の演奏はハイレベルでカッコイイものだった。
 2時間ほどの練習が終り、ボンヤリしていると、ギターのS藤さんから、
「もっと自由に弾いていいんだぞ~。コピーそのままじゃ、固い固い!」
 そんな事を言われた事を覚えている。僕は心の中で、
「やっぱり大学生の音楽レベルは全然違うわ・・。こりゃ、このバンドは凄いぞ・・。やっと俺の願いが叶った・・・。」
 そんな事を考え、
「うっしゃ~、こりゃ真面目にベースを練習するぞ、このバンドのレベルに俺のベースも早く追いつかなくては!」
 と1人鼻息を荒くして、意味も無く体に力が入っていたような記憶があるのだ。
 さて、そんな事を思い出しながら、久しぶりにシーウィンドのアルバム「海鳥」を全部聴いてみました。
 中でも「プラ・ヴォセ」は特に意識して聴いてみたけれど、今聴いても実にイイ曲だと感じる。イントロのローズピアノとベースのハーモニクス奏法が生み出す幻想的な雰囲気、甘いスキャットとフルートの洒落た音、全体から感じる海のイメージ、と言い始めたらキリがない。
 そして「プラ・ヴォセ」ばかりでなく、この「海鳥」というアルバム全体から、
「これって、当時流行りのサーファーの音楽だよなぁ~。こういう曲が街に流れて、誰もが雰囲気に浸っていた時代が確かにあったよなぁ・・・。」
 なんて事を鮮明に思い出させてくれたのだ。
 僕にとって「プラ・ヴォセ」という曲は、初めて演奏したフュージョンナンバーである事以外にも、当時の息吹をビンビン感じさせる名曲であり、いつも心の底のどこかで流れているような気がする曲なのだ。
 さて話は変わるが、僕はその後の約2年間、少々のメンバーチェンジがあったものの、基本的にはこのメンバーとバンドを続けてゆく事になる。
 今後、昔話を進めてゆく上で、しばらくの間、このバンドの話が頻繁に出てくると思うので、是非、御見知り置きを願いたい。
 ではまた・・・。

SEAWIND - PRA VOCE


 


[Music Seawind]


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中央高速とユーミンとS江ちゃんの話。

2009.05.09 Sat
14番目の月
 
 僕は大学生活最初の夏休みを迎えていた。とは言っても、そもそも大学生活なんて、高校の頃に比べると毎日が夏休みみたいなモノで、そんなに生活に変化があったようには記憶していない。休みの間に高知へ帰省するつもりではいたが、それは8月の予定だったので、7月の間はバンドの練習以外は特に何もせず日々ダラダラと過ごしていた記憶がある。そんな7月の終りに、同じバンドのS藤さんから電話があり、
「来週サークルの3年が中心になって河口湖へキャンプしに行くんだけど、お前も来ない?」
 と、ちょっと魅力的なお誘いがあった。僕が、
「う~む。どうしようかな・・?」
 なんて考えていると、
「まあ、キャンプって言っても大したモンじゃないよ。皆でバーベキューやって酒飲んで一晩騒ぐだけなんだけどさぁ。どうだ?行くか?」
 こう言われると、当時“酒飲んで騒ぐ。”という行為が世界一好きだった僕は、(←今でもそうだが・・・。)
「よっしゃ!行きます、行きます。酒飲みに~、騒ぎに~。」
 と、超能天気に態度が豹変し、
「えへへへ・・。」
 なんてウスラ笑いを浮かべていたのだ。
 ところが、S藤さんから予定を聴くと、マズイ事に出発の日がバイトと重なっていた。
 僕はこの頃、高校時代の友人のH口君やN田君、K藤君らと一緒に日雇いのアルバイトを時々やっていた。それは、デパートにマネキンを運び込む仕事で、デパートの営業が終わった夜中か、定休日(←昔はデパートにも毎週定休日があった気がする・・。)に、トラックに満載されてくるマネキンを、催し物会場などに運び入れるのだ。このバイト、大学入学当初に友人達から紹介されて、秋口まで数回やった記憶があるが、早朝から昼過ぎまでで、4~5千円の金になったと記憶している。
 話がそれたが、バイトの予定が先に入っていたので、僕がしょうがなく、
「あ~っ、残念だわ・・。その日バイトなんですよ。」
 と言うと、S藤さんは、
「そうか・・・、んじゃあ、しょうがないな~。今回はパスという事にしとくわ。」
 そう言って電話を切り、僕は、
「そうそうやらないバイトの日と重なる事もないのになぁ・・。」
 なんて考えながら、ガックリ肩を落とした事だった。
 さて翌日の夕方、バンドの練習の為に部室へ顔を出すと、S藤さんが、
「おっ、K本(←オヤジの本名です)、河口湖だけどさ、バイトが終わってから追っかけて来いよ。たまたま、S江ちゃんも用事があって夕方から追っかけて来るって言ってるからさ、乗っけてもらうように頼んどいたぞ!いいなぁ~S江ちゃんと2人でドライブかよ~!」
 とまあ、突然そんな事を言われたのだ。
 そもそも、この「河口湖酒飲みキャンプ」(←勝手な名前だけど)に参加したくてウズウズしていた僕は、
「何とラッキーな・・・。追っかけで参加出来るだけでも嬉しいのに、その上S江ちゃんと2人でドライブが出来る。ケケケッ!」
 なんて考えて、自然と鼻の穴が膨らんで、前日落とした肩は元気を取り戻し、イカリ肩になっていた。(←そんなわけないぞ!)
 さて、ここで登場したS江ちゃんなる人物をちょっと説明すると・・・、S江ちゃんは、僕と同じサークルに所属する3回生の先輩女性で、R&B系のバンドでボーカルを担当していた。大柄な美人でハスキーボイスだけど性格が良く、サークル内では人気NO1の女性であった。前年サークルで海へ行った時、S江ちゃんの水着姿を見た先輩の一人が鼻血を出したとの逸話があるほどのナイス・バディーの持主で、結構あちこちの男に言い寄られているようだったが、特定の彼氏はいないようだった。
 そんな訳で、来るべきS江ちゃんとの河口湖までのドライブを夢見ならが、僕は高鳴る胸の鼓動を抑えるのに必死で、当日までの何日間かは眠れぬ夜を過ごした事だった。(←そんな訳ないだろう!バカ!)
 さて当日。3時に新宿でバイトを終えた僕は、友人達の、
「何か食べて帰ろうぜ~」
 という誘いをニヤケ顔で断り、凄い勢いで下北沢のアパートへ戻り、4時には近所の爺さん連中と銭湯に浸かって汗を綺麗に洗い流した事だった。そして一張羅のTシャツとジーンズに着替えて(←Tシャツとジーンズが一張羅だから大した事は全然ないのだが・・・。)待ち合わせ場所の新宿へ再び向かった事を覚えている。
 新宿西口でS江ちゃんの車を待っていると、ほどなく白いカムリが止まり、運転席からS江ちゃんが、
「K本君、乗って!乗って!」
 と言っている。
 急いで助手席に乗り込むと、車はすぐに発進して、甲州街道を西へ向かい始めた。
「これ、父の車なのよ。ちょっとオジサン臭いでしょう?ふふふっ。」
 なんて笑いながらハンドルを握るS江ちゃんのカワイイ事、カワイイ事・・・。僕はこの時天にも昇りそうな喜びを感じていた。
「K本君、何かカセット持ってきた?」
 そう聞くS江ちゃんに、
フュージョンばっかだけど、持ってきた・・。」
 そう言うと、
「好きなのかけてイイよ。でもね、中央高速に入ったら、ユーミン『中央フリーウェイ』かけてね。テープはそこにあるから。私、中央道を走る時は、いつもこれやるのよ。ミーハーでしょう?」
 笑いながら話すS江ちゃんに僕は、
「え~、S江さんてユーミン聴くの?全然イメージと違うよなぁ。部室で歌ってるR&Bみたいなのしか聴かないかと思ってた・・。」
 そう話しながらも、僕は彼女の隠れた一面を発見したようで、とても嬉しかった。
 そして、サークル内の色々なバンドの話をしているうちに車は中央高速に入り、僕はS江ちゃんに言われた通り、ユーミン「中央フリーウェイ」を流し始めた。
 浪人生活をしている頃、この曲を聴いて中央高速の風景に思いを馳せた事はあったものの、「現実の中央高速」、「ユーミンの歌声」、「隣にS江ちゃん」とまあ夢の三位一体のコラボレーションは強烈で、僕自身もこんな経験は初めてだったが、歌詞に出て来る競馬場やビール工場の風景に素直に感動し興奮していた。
「ねぇ、結構イイと思わない?私コレやるの何回目かしら?でも、いつも感動するのよねぇ~」
 そういうS江ちゃんに、僕はただ
「うん、うん。俺も感動するぞ~!」
 と頷いていた。
 車はそのまま中央高速をひた走り、夜になって目的のキャンプ場に到着したが、その頃には僕は完全にS江ちゃんが好きになりかけていた。単純極まりない話だが、「中央高速」と「ユーミン」と「S江ちゃん」の三位一体攻撃はいとも簡単に若者の心を虜にしてしまったのだ。(←他人事のような表現だが・・・。)
 そして、この頃まだ車の免許を持っていなかった僕は、
「う~む・・。絶対早く免許を取ろう。そして今度は俺の運転でS江ちゃんを助手席に乗せて、中央高速でユーミンじゃ・・。」
 などと勝手な空想をどんどん膨らませて、いつもよりもその晩は酒を飲むペースが速かったように記憶している。
 さて、改めてユーミンのアルバム「14番目の月」から「中央フリーウェイ」を聴いてみた。アホらしい話だが、この年齢になっても、この曲を流しながら暮れかけた中央高速を車で走りたいと思ってしまった。そして、あの時から25年以上も経っているのに、S江ちゃんの横顔が鮮明に頭に浮かんでくる。
「ホント、コレは恥ずかしい青春の曲だよなぁ・・・。ヤバイよなぁ・・・。」
 なんて感じた事だった。
 その後1年ほどして、僕は運転免許を手に入れたが、夕暮れの中央高速でユーミンを聴く事も、S江ちゃんを助手席に乗せる事もなく(←当然だ、車を持ってなかったのだ。)アッという間に時間だけが過ぎて行ったような感じがする。そして今回、
「果たしてこの先の人生で、『中央フリーウェイ』を聴きながら、中央高速を走る事があるだろうか?もう無理かもしれないなぁ・・・。」
 そんな事を真面目に考えてしまった。
 オヤジは少し寂しくなった。

松任谷由美 : 中央フリーウェイ


 
[Music 松任谷由実]


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「メシアが再び」で頭に浮かぶ、浴衣と足袋のチークダンスの話。

2009.06.21 Sun
A Street Called Straight

 突然なのだが、テンプレートを変えてみた。
 大した意味は無いのだが、こっちの方が涼しそうな気がしたからだ。秋口まではこのテンプレで行こうと思うので、よろしくお願いしたい。

 さて、梅雨入りした高知市は夏に向かって着実に進んでいる。時々このブログにも書いてきたが、僕は一年の中で夏が一番好きだ。特に土佐の夏の素晴らしさは、筆舌に尽くし難いと思っている。
 高知市では、ゴールデンウィークを過ぎた辺りから少しずつ観光客が増え始め、街を歩いても活気が感じられるようになる。そして7月ともなると、毎週のように昼に夜に様々なイベントがあり、人出が多くなってゆく。
 クライマックスは8月の「よさこい祭り」。2万人以上の踊り子が、本祭の2日間を朝から夜まで踊り狂うのだ。街は大音響と熱気に包まれ、刺すような陽射しの中、僕は毎年大汗をかきながらこの祭を見物する事を楽しみにしている。
 何故こんな話をするかというと、今回の昔話はこの「よさこい祭り」の事なのだ。今から25年以上も昔、この祭りに初めて参加した経験は僕の中である曲と強く結び付いて、忘れられない思い出となっている。今日はそんな話を聞いてもらいたい。
 1982年の8月、大学1年の僕は高知へ帰省していた。この頃の僕は、東京での毎日が面白く
「夏休みも大学の仲間達とバンドをやってる方が楽しいぞ・・・。」
 なんて思いが強かったのだが、同郷のバンド友達のH口君やN田君に誘われて、よさこい祭りに参加する為に帰省していたのだ。
 さて、一口に
「よさこい祭りへ参加する。」
 とは言っても、僕の目的は祭りで踊る事ではなく、ここでもやっぱりバンドだった。
 簡単に説明すると、よさこい祭りでのバンドというのは、100人前後の踊り子を先導するトラック(←地方車といいます。)の荷台に、ドラムセットやアンプ、PA装置を積み込み、踊り子が踊っている間中、大音響で演奏を続けるバンドの事で、当時の僕のように、大きな音を出して演奏したくてしょうがなかった人間には、「よさこい祭り」はもってこいのお遊びだったのだ。
 そんな訳で、僕も早速H口君やN田君ら高校の同級生らと、ギター2名、ドラム、ベース、キーボードのバンドを組んで、本祭の2日間、朝から晩までロック調にアレンジしたよさこい節でベースを弾きまくろうと考えていたのだ。
 今でこそ、祭りの何カ月も前から入念に作られた曲を事前に録音し、高音質のPA装置で流すチームが多いけれど、僕が参加していた25年以上も昔のよさこい祭りは、生演奏が当り前で、どのチームも専属のバンドをトラックに乗せていたので、これは決して特殊な例ではなく、当時としてはごく当り前の事だったのだ。
 また、我々が参加したチームは、「東京私学六大学連合」というチームで、高知県出身者で東京の私立大学に通う学生ばかりの集団で、酒を飲んで朝から晩まで大騒ぎしながら踊る事に命を掛けたような若いチームだった事もあり、否が応でも盛り上がる事は最初から目に見えていた。
 こんなお膳立ての中で、我々は祭り本番の一週間ほど前からスタジオでよさこい節の練習を始めたのだが、実際は、よさこい節なんて子供の頃から耳にタコが出来るほど聴いているのでアッと言う間に演奏出来てしまい、そんな事よりも、この練習はよさこい節以外の曲がメインであった。
 というのも、前年によさこい祭りに参加した経験があるH口君の言う事には、
「夜の踊りが始まる前に、チーム全員で高知城の公園で夕食の弁当を食べる事になるけど、その時に演るのが一番オモロイぞ!」
 との事で、要はチーム全員が酒に酔った宴会状態の公園で、ノリの良い曲をガンガン演奏して、
「夜の公園をちょいとしたディスコ状態にする。」
 これがたまらなく面白いという事だったのだ。
 まぁ、ちょいとバンドをやった人間ならこの辺の面白さは簡単に想像できる訳で、そんな事から、我々の練習はよさこい節よりも、踊り易いビート系の曲を中心にしていた訳なのだ。
 さて本番・・・・・。
 天気にも恵まれ、我々のチームは高知市中心部の中央公園を皮切りに、あちこちの会場でほとんど馬鹿に近いノリで、踊りまくっており、その踊りに煽られるように我々の演奏もガンガン盛り上がっていた。そして、日も暮れかけて、問題の夕食の時間がやってきた。
 そもそも、チームの男連中は、昼間から何本かのビールを飲んで踊っている上に、公園では日本酒をガブ飲みしており、一方、女の子達も夕食でビール等のアルコールが入っているので、我々が演奏を始めるとどんな曲でもヤンヤヤンヤの拍手が起き、日が暮れて辺りがトラックに積み込んだサーチライトの明かりで幻想的に照らされる頃になると、高知城の公園は大音響の中で、浴衣や法被(はっぴ)で踊る男女が入り乱れた異常な光景になっていた。
 我々演奏する方も調子に乗って、ノリの良いロックを適当に演奏して面白がっていたのだが、かなり盛り上がりも最高潮の所で、突然、ギターのH口君が、
「おい!次はメシアやろうぜ~。」
 そう言って、ロイ・ブキャナン「メシアが再び」を弾き始めたのだ。
 これには参った。
「そうか・・・、そう来たか・・・。」
 と思った。
 ご存知の方も多いと思うが、ロイ・ブキャナン「メシアが再び」という曲は、泣きのギターで聴かせるバラードの名曲で、切なく哀愁が漂うギターフレーズが続く。
 僕はこの曲のベースを弾きながら、
「なるほど・・・、チークを踊らす気か・・・。こりゃオモロイ、見モノだぞ!」
 と、内心ワクワクしながら、皆の行動を見ていた。すると我々の目論見通りに、サーチライトにボンヤリと浮かび上がった中で、何組かのカップルがチークダンスを踊り始めたのだ。
 これは馬鹿騒ぎして踊りまくっている光景よりも数倍異常な光景に見えた。なんせ、ボンヤリと光に照らされた公園で、浴衣姿に足袋を履いた男女が抱き合って、チークダンスを踊っているのだから・・・。
 僕は、
「こりゃ、お互い汗臭くて、たまらんだろうなぁ・・・。でもまぁ、いいんじゃない~好きならば・・・・。」
 なんて思いながら、演奏の手を休める事なく、酒の酔いにまかせて、この異様な光景を眺めていた事を覚えている。
 さて、この時以来、僕は「メシアが再び」を耳にすると、浴衣姿の男女がチークダンスを踊る光景がいつも頭に浮かんでくる。異常な事は分かっているのだが、この時の光景が強烈すぎて、どうしてもそうなってしまうのだ。
 今回、この記事を書く為に、大昔にカセットテープにダビングしたアルバム「A Street Called Straight 」を引っ張りだして、久しぶりに「メシアが再び」を聴いてみた。
 浴衣の男女のチークダンスの話は置いておいて、正直な感想をお話しすると、まず不思議に思ったのだが、ギターの音の事だ。
 アルバムジャケットでロイ・ブキャナンが抱えているのはフェンダーテレキャスターというギターなのだが、「メシアが再び」で出てくる音はテレキャスターの音ではないような気がしてならないのだ。もっと太く、重い音のように感じてしまい、逆に、
「どうやったらテレキャスターでこんな音が出せるんだろう?」
 なんて事を真剣に考えてしまった。
 そして、もう一つもギターの事だが、「世界最高の無名ギタリスト」とは上手い事言うもので、よくよく聴くと、実にテクニカルで音のコントロールが絶妙なのだ。
「何故こんな凄いギタリストがあんまり有名じゃ無いのだろうか?」
 そんな事もボンヤリ考えてしまった。
 と、まぁ、こんな風にギターの細かい話をしてもしょうがないのでこの辺にしておくが、いずれにしろ「メシアが再び」は魂を感じる名曲だと思った事で、酔っ払いのチークダンスが頭に浮かぶようじゃあ、ロイ・ブキャナンとこの楽曲に対して実に失礼な気がしてならなかったのだ。
 いやはや・・・・勘弁してほしい!

roy buchanan - the messiah will come again


 
[Music Roy Buchanan]


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