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土佐のオヤジの音楽昔話 ~ あの頃の曲を聴いてみた ~ 大学1回生の頃
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ジョージ・ベンソンの「メローなロスの週末」で思い出すデモ・テープ作りの話

2009.08.01 Sat
メローなロスの週末

 大学一回生だった1982年の8月の下旬、高知から東京へ戻った僕は、夏前から参加したバンドの練習以外は何もする事がなく、新学期が始まるまでの少しの間、ただボンヤリと過ごしていた。
 そのバンドの練習も、基本的には9月の末に催される学内のミニコンサートに向けて3~4曲を練習している程度で、
「初めてバンドに入れてもらった時の鼻息の荒さは何処へやら・・・?」
 で、あまり気合いの入らない練習を続けていた記憶がある。
 そんな中、こんなバンドの閉塞感に風穴を開ける話をリーダーでキーボードのK田さんが始めた。それは、いつものように部室での練習が終わった後で、『反省会』と称して、メンバー全員で江古田駅前のマクドナルドでコーヒーをすすりながら、何て事ない話をしていた時の事だった。
 K田さんが急に、
「あのさぁ、またライブハウスへ出てみない?」
 なんて事を言い始めたのだ。
 ちょいと説明すると、僕が夏前から参加したこのバンドは、前年まで年に何度か都内のライブハウスやパブなどで演奏した経歴があった。ところが、この年の初めから春にかけて、ベース(←僕の事です。)とドラムのメンバーチェンジをした事で曲のレパートリーが減り、学内のミニコンサートぐらいにしか出る事が出来なかったのだ。
 話を元に戻すが、この時のK田さんの、
「また、ライブハウスに出てみないか?」
 の話に、ギターのS藤さんが、
「今回もK田の知り合いのツテで、原宿の○○○(←ライブハウスの名前です。)に出るのかよ?なんか、ワンパターンだよなぁ・・・。チケット売るのが大変だぜ。」
 などと、絡み気味に文句を言っていたのを覚えている。ところがK田さんは、
「まあ、○○○にもまた頼んでみるけどさぁ、今回はスタジオでキチンとデモ・テープ作って、何ヵ所かのライブハウスへ売り込みたいと思うんだよな~。」
 なんて事を言い始めたのだ。
 この、『デモ・テープ』の一言に我々バンドメンバーは色めきたった。
「そうか、俺達キチンとスタジオで録音した事ないもんな~。」
 なんて、ギターのI沢さんが言い始め、
「やろうよ!面白そうじゃん。やろう!やろう!」
 と、シンセサイザーのN本嬢とボーカル&フルートのS浦嬢が言った。
 僕は、ライブハウスという言葉だけで興奮して鼻の穴が膨らみかけているのに、その上、デモ・テープなどというカッチョイイ言葉を聴いて、その辺でハンバーガーを食べてる女子高生に、
「お嬢さん、俺ライブに向けて、デモ・テープ作るんだけどさぁ・・・。」
 なんて言いながら前髪をかきあげたい衝動に駆られていた。(←バカだからすぐに調子に乗るという事なのだ。)
 さて、この『デモ・テープ』話は、メンバー全員が乗り気だった為に、トントン拍子で進んで行き、9月の中旬に渋谷の録音スタジオを予約し、同時に録音してもらうプロのエンジニアを音大生のN本嬢のツテで雇う事になった。
 録音する曲は全部で3曲。フュージョン系の曲を2曲とオリジナルのニューミュージック系の曲を1曲録音する事に決めた。当然その後のバンドの練習は、この3曲を集中的に行い、それまでのダラダラ練習とは打って変わって、寸分の音の狂いも、一瞬のリズムの乱れも聴き逃さない緊張感溢れるモノとなっていった。
 中でも、ジョージ・ベンソン「メロウなロスの週末」という曲が強烈に印象に残っている。この曲は、曲名通りアメリカの西海岸を連想させるような洒落た旋律のテーマから始まり、その後はキーボードとギターの素晴らしいアドリブを聴かせるインストの名曲だ。我々は、「メロウなロスの週末」を練習するにつれて、
「この曲こそ、我々が目指すバンドの音だよなぁ~。」
 なんて事を言い始め、スタジオでの録音までの間、一番時間を割いて練習した記憶がある。
 さて録音当日。
 昼前に渋谷駅前に集合した我々は、公園通りを少し上り、ちょっと脇道にそれた所にあるビルの6階のスタジオに向かった。既に録音担当の音大出のエンジニアがスタジオに到着していて、彼の指示に従って、我々は楽器をセッティングしていった。そして、ヘッドフォンを着け、
「いざ!録音」
 となった時に、恥ずかしい話だが、僕はオシッコがしたくなった。つまり異常に緊張していたのだ。
 それまで何度か人前で演奏した事があるにも拘わらず、正直な話、この時のデモ・テープ作りでは、足が震えるほど緊張してしまったのだ。その上、緊張というのは伝染するようで、他のメンバーも僕と同じ状況になり、「メロウなロスの週末」の最初のテイクは悲惨な出来であった。
 僕のベースはいくつかのミストーンがありリズムも乱れ、ギターもキーボードもアドリブは惨憺たる出来、ドラムも硬さがモロに出ていた。唯一、N本嬢とS浦嬢の音大生2人組だけがいつも通りのプレイが出来ていた。
 一旦休憩という事になり、全員でミキサールームに集まり煙草を吸いながらアイスコーヒーを飲んだ。僕は喉がカラカラで、このアイスコーヒーを一気飲みした事を覚えている。エンジニアの人に、
「全員緊張してるなぁ~。酒でも飲んで演った方がイイんじゃないの?あははは~。」
 なんて冗談を言われたのだが、幸か不幸か、その時の我々にはそれが冗談に聴こえなかったのだ。ギターのI沢さんが、
「確かに、そりゃイイ考えだ。おい!K本(←オヤジの名前です)、ちょっと缶ビールを3~4本買ってこいよ!」
 そう言い始め、僕は急いでスタジオのあるビルを出て近所の酒屋を探した。
 そしてビールの500M缶を4本持って再びミキサー室へ戻り、メンバー全員で次々に回し飲みをしたのだった。どうでもイイ事だが、この時のビールはムチャクチャ美味かった事を今でも覚えている。
 さて、そんな休憩の後、再び録音が始まったのだが、不思議な事にビールを飲んだ我々の演奏は実に快調であった。高校生のくせにビールを飲んだK領君のドラムなどは、実にスムーズで、リズムのポイントを押さえた渋い演奏になり、その上に乗っかる僕のベースもノリノリで演奏する事が出来たのだった。そんな調子で、その後の録音は全くトラブルがなく順調に進み、アッと言う間に3曲の録音が終わった記憶がある。
 楽器を片付けている時に、エンジニアの人から、
「お前ら、飲まないと演奏出来ないのかよ?」
 と笑われた事を覚えている。
 余談になるが、我々のバンドがこれ以降ライブをやる時には必ず直前にビールを飲むようになったのは、この時の経験からだ。そして、徐々にその行為はエスカレートし、ギターのI沢さんなどは、一年後にはライブ直前にコップ酒を飲んでいた記憶がある。
 話を元に戻すが、その後我々は、出来あがったテープをミキサー室で大音響で聴いたのだが、正直な話、あまりのカッコよさに全員が驚いた記憶がある。
「ひゃ~俺ら、プロみたいじゃん。」
 これが録音を聴いた時の僕の正直な感想だった。そして、
「キチンとした器材で、ベストテイクを選んで音にすると、アマチュアでもこんな凄い事になるのか・・・。」
 と空いた口が塞がらなかった事を覚えている。
 とまぁ、そんな事を思い出しながら、久しぶりにジョージ・ベンソン「メロウなロスの週末」を聴いてみた。
 「メロウなロスの週末」という曲は同名のタイトルを持つライブアルバムの1曲目に収録されている。このアルバムは、僕が初めて聴いたジョージ・ベンソンのアルバムで、学生時代には、それこそテープが擦り切れるほど何度も聴いた記憶がある。
 僕の中では、このアルバムほど色々な人物の顔が浮かび、バンドの練習風景の断片が頭に浮かんでくるアルバムは無い。これまで何回聴いても、大学時代前半のバンド活動で目指していた音の全てがこのアルバムの中に集約されているようで、当時を思い出して熱いモノがジワジワとこみ上げて来るのだ。
 少々大袈裟な言い方かも知れないが、僕はこのアルバムを流すだけで、大学1回生のあの頃へタイムスリップ出来ると感じている。そういう意味では、「メロウなロスの週末」は数ある思い出のアルバムの中でも、特別思い出深いアルバムで、今後も当時へ思いを馳せる時には欠かす事の出来ないアイテムだと思っている。
 なんだかんだと長い話をしたが、結局は、
「いや~~~懐かしい!」
 その一言に尽きるのだ。

George Benson - Week in Los Angeles


 
[Music George Benson]


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阿川泰子の「シニア・ドリーム」を聴くと背筋が寒くなる話。

2009.08.29 Sat
サングロウ

 前回の昔話(←こちらです。)でお話したように、1982年の9月の中旬に僕が参加したバンドは初めてスタジオで正式なデモテープを作成した。その後は都内のあちこちのライブハウスへこのテープを持ち込み、
「すいません、我々こんなバンドなんですけど、ここに出させてもらえませんか?」
 と、地味に出演のお願いをして回っていたのだ。そしてやっと1件のライブハウスに出演出来る事が決まり、バンドは10月終りの本番に向けて、密度の濃い練習を続けていた記憶がある。
 そんな中での僕の生活は、
『大学では授業の合間にバンドの練習、アパートの自室では様々な曲のコピー、空いた日には高校時代の友人達と内装工事の日雇いのアルバイトをやり、そのまま夜は彼等と当時住んでいた下北沢の何処かで酒を飲む。』
 というように、楽しいけれども実に忙しい日々となっていたのだ。
 そして僕にはもう一つ忙しくなる要因が増えていた。女である。
 さて今回、当時の女性関係の記憶をたどると、自分の身勝手さとバカさ加減があまりに酷く、我ながら書くべきかどうか迷ったのだが、僕の頭の中では“ある曲”と当時の女性関係がリンクしており、
「音楽を基に昔話をするなら、やっぱり外す事が出来ない思い出かなぁ?」
 などと考え、思い切って書くことにしたのだ。まぁ、オヤジの自分勝手な話を聞いて欲しい。
 当時の僕は、夏休み前頃からNさんという短大生と付き合っていた。6月の初めにNさんが通う短大との合コンが渋谷であり、それに参加した僕は、たまたま帰る方面が同じだった彼女をもう一軒飲み屋へ誘い、そのまま何となくズルズルと交際が始まったように記憶している。
 一方、時期を同じくして僕にはもう一人の女性が存在していた。彼女はAさんと言い、僕が所属するバンドでシンセサイザーを演奏していた女性の友人で、M音大の4回生だった。バンドのメンバー達との飲み会の席で紹介され、何となく波長が合い、時々2人で会うようになり、こちらも夏休みに入る前頃からズルズルと付き合いが始まったと記憶している。
 僕は9月になって大学の授業が再開した頃には、NさんとAさん両方と上手い事タイミングをずらしながら時々デートをしていた記憶がある。
 年下のNさんとは、渋谷のディスコへ出かけたり、映画を見たりして遊び、年上のAさんには麻布カフェバー六本木のお洒落な飲み屋を教えてもらったりしていた。
 デートが重なってNさんを断る時は、
「バンドの練習があるから。」
 と嘘をつき、Aさんを断る時は、
「徹夜のバイトが入っているから。」
 なんて嘘をついていた事を思い出す。
 考えてみると、この頃の僕はちょっとイイ気になり過ぎていたフシがある。大学に入学し、好きなバンドにも入れてもらい、人間関係が一気に広がり、新しい経験を毎日のようにし、一方で高校時代の友人達とは昔と同じように遊び、その上タイプの違う女の子2人と付き合い・・・。とまあ個人的には世の中バラ色だが、周りから見ると能天気で傲慢さが滲み出るような嫌な男だったと思うのだ。しかし、そんな傲慢男の鼻がへし折られてしまう事がこの後起きたのだ。
 この頃、我々バンドのメンバーは練習の後で「反省会」と称して何処かの店に立ち寄る事が多かった。中でもよく通った店に池袋の「O」という店があった。昼間は喫茶店で夕方からはパブになる店で、店内には観葉植物がたくさんあり、トロピカルなムードが漂う当時としては洒落た店だった。テーブルや椅子が大きくてくつろげる上に、食べ物のメニューも多く値段も安かった事もあり、我々はよく練習帰りに「O」を利用した。その上、この店の最大の魅力はBGMがフュージョン系の音楽ばかりで、フュージョンバンドをやっていた我々としては、コーヒーやカクテルを飲みながら音楽に耳を傾けているだけでも居心地の良い空間だったのだ。
 10月の終りに僕はこの店へNさんを連れて行った。僕が時々この店の事を話題にしていたので、デートの途中で彼女が
「どうしても行ってみたい!」
 と言い出したのだ。
 「O」にはバンド繋がりでAさんも時々出入りしている事を知っていたので、僕はあまり気が進まなかったが、彼女がしつこく言うので、
「んじゃぁ行ってみる?」
 なんて言いながら連れて行ったのだった。
 店に入ったのは、夜の7時頃だったと思うが、外は小雨が降っていた事を覚えている。Nさんと二人でピザをつまみながらビールを飲んでいると、ちょっと前に流行った阿川泰子「サングロウ」というアルバムが流れ始めた。僕は、
「お!阿川泰子だ。このアルバムの中に入ってる『シニア・ドリーム』って曲、来週のライブでやるよ!うちのバンドのボーカル、声が阿川泰子そっくりなんだよ!」
 なんて得意げに話していた。その時、店のドアが開いて、ス~っと入って来た人物を見て僕は完全に氷ついてしまった。そう、Aさんが友人らしき女性と二人で店に入って来たのだ。
 Aさんはすぐに僕に目を止め、一瞬
「あれ!?」
 という顔をしたが、そのまま何事も無いように友人と席に着いた。一方僕は頭が真っ白になり、Nさんに突然、
「店を出よう!」
 と言った。訳が分からないNさんは、
「ええ?何で急に?何?どうしたの?」
 と騒ぎ始め、僕が、
「いいから、とにかくここから出よう!」
 そう言っていると、Aさんが自分の席からスッと立ち上がり、ツカツカと僕のテーブルにやってきて、
「K本君(←オヤジの本名です。)これがあなたの徹夜のバイト?馬鹿にしないでよ!二股かけて・・・。」
 そう言い、Nさんに、
「あなた、騙されてるわよ。」
 と、静かに言ったのだ。
 それからの事はあまりよく覚えていないのだが、店を出た僕は小雨の中を池袋駅まで早足で歩いていた。Nさんが僕の後ろを歩きながら、
「ねぇ、どういう事よ、キチンと説明してよ!」
 そんな事を言っていたのをボンヤリ覚えている。駅の入り口で僕がNさんに、
「そういう事だよ。」
 と言うと、
「そういう事って何?K本君二股かけてたの?ねぇ?」
 とNさんが言い、僕が、
「だから、そういう事だよ。」
 と、言うと同時にNさんに「パン」と一発左頬を叩かれた。
 この瞬間、僕は何もかもがどうでも良くなった。
 そもそも翌週のライブでNさんとAさんが鉢合わせする事態を心配し、
「何とかどちらか一方だけをライブに呼ぶ事が出来ないか・・・?」
 と頭を悩ませていた最中だったので、一瞬のうちに、
「これで良かったんだ・・・。」
 なんて思ってしまったのだ。そしてNさんに、
「もういいよ。止めよう。すまなかった。」
 それだけ言い、彼女が怒って帰ってしまった後、しばらくの間僕は駅前に立ってボンヤリ煙草を吸っていた。
 この時以来、NさんともAさんとも僕は別れた。その後2人からそれぞれ連絡があり、年末頃までは「会う、会わない」でゴチャゴチャしたが、僕は、もうそういう事が全部面倒臭く、結局は2人との関係を全てウヤムヤにしてしまったのだ。
 今思うと、自分の身勝手さに呆れ果ててしまい、
「何であんな事が出来たんだろう・・?」
 なんて思ってしまう。
 それに、よく考えてみると、Nさんは何も知らずに僕と付き合っていたが、多分Aさんは普段の僕の言動から何かしら怪しいモノを感じ取っていたと思われるのだ。いずれにしろ、思い出せば出すほど冷や汗が出てゾッとする思い出なのだ。
 この時の出来事が結構衝撃的だったせいか、僕は今でも阿川泰子「サングロウ」を聴くと背中に冷たいモノが走るような気がする。中でも「シニア・ドリーム」という曲は、偉そうにバンドの自慢をする当時の自分の姿が頭に浮かんで、自己嫌悪でゾッとするのだ。
 ・・・・と、ここまで書いてきて、
「う~む、こんな事書くと人格疑われるかね?」
 なんて、思い始めた。まぁ、何と思われようが事実だからしょうがないのだが・・・。
 その後の僕は、しばらくの間女性と付き合う事が面相臭く、半年以上女性を好きになる事が無かった。必然的に、バンドと酒だけに喜びを見出すつまらない青春を送る若者になったのだ。
 いやはや・・・今回の昔話は何とも情けない話なのだ。皆様、若気の至りで勘弁してくれ!たのむ!

シニア・ドリーム/阿川泰子


 
[Music 阿川泰子]


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ジョー・サンプルの「道草」で、客と一緒に楽しむライブの素晴らしさを知った話。

2009.10.25 Sun
虹の楽園

 今からちょうど27年前の話だが、1982年の10月の終りに僕は初めてライブハウスなるものに出演した。場所はJR高田馬場駅から歩いてすぐの雑居ビル内にあった「LA」という店で、キャパは100人ぐらいだったと記憶している。
 幸いな事に、我々バンドのメンバーは前日までにあらゆるコネとツテを頼ってチケットを全て売り払っており、
「ソールドアウトじゃ~~!」
 などと能天気な事を叫びながら、当日の夕方から夜の本番に向けてリハーサルを行っていた。
 ただ、
「ソールドアウト!」
 と喜んではみても、この日のライブは、自分達が演奏する曲だけでは時間がもたないので、最初に30分ほど前座で演奏してくれるバンドを知り合いに頼み、その後休憩を挟んで我々が1時間少々演奏するという構成であった。当然チケットの売上には、この前座のバンドの皆様にも協力頂いたのだった。
 さて、最初に頭に浮かんでくるのは、リハーサルが終り、開場前の少しの時間メンバー全員でビールを飲んでいる光景だ。何故だか分からないが我々のバンドは、本番の前に必ずビールを飲んでいた記憶がある。そうしないと落ち着いて演奏出来なかったのかも知れないが、徐々にこの事が癖になり、ギターのI沢さんなどは、半年後には隠れてワンカップを飲むようになっていた。
 いかん、いかん、話がそれたので元に戻すが、ビールが回りほろ酔い気分になった頃にちょうど店はオープンした。この時の僕は、
「確かにチケットは全部売れているけど、本当に客が満杯に入るのだろうか・・・?」
 なんて事を考えて、少し不安な気持ちになっていた。しかし徐々に席が埋まり始め、サークルの同級生や、高校の友人達が会場内をウロウロし始めるのを見て、なんとなく胸をなでおろした事を覚えている。
 さて、相変わらず長い前置きで申し訳ないが、今回の昔話は、この時のライブで演奏した中の一曲、ジョー・サンプル「道草」という曲の話なのだ。
 いきなり結論を言わせてもらうと、僕はこの「道草」という曲で、『演奏する側と客とが一体になったライブの楽しさ』を初めて知ったのだ。
 その経緯を説明すると、僕が参加していたバンドは夏休み明けからデモ・テープを作り、ライブハウスに出る事を目標に密度の濃い練習を続けてレパートリー曲をどんどんと増やしていた。曲の種類は、インストルメンタル曲のコピーと女性ボーカルのオリジナル曲とを2対1ぐらいの割合で練習し、このライブの頃には15曲ほどが、
「まぁ、なんとか人前で演奏出来るかな?」
 くらいになっていたと記憶している。
 「道草」はそんな中でも我々が重要視している曲で、ノリの良いビートに乗せてジョー・サンプル独特のメロディアスなピアノが展開する名曲だ。我々はこの曲を全部の楽器が順番にアドリブをとれるようにアレンジし、ライブ半ばでのメンバー紹介に使うようにした。
 そもそも僕が担当していたベースなんて楽器は、全ての楽器の中で最もアドリブを弾く機会が少なく、ほとんどの曲が、
「私、目立たなくていいんです。ベースは縁の下の力持ちですから・・・。」
 的な役割で終わってしまうので、先輩でキーボードのK田さんが、
「『道草』をメンバー紹介用にアレンジしようぜ~!」
 なんて言い出した時には、
「おお!これで俺もライブで目立つ事が出来るぞ!嬉しい事じゃ!わははははぁ~」
 と素直に喜んだのだ。
 で、いざ本番だが、ライブ半ばでこの曲を演奏したところ、予想通りに客が盛り上がり、我々バンド側もノリノリで演奏した事を覚えている。
 ギターの2人の先輩などは、いつにも増してアドリブが長く、その上派手なアクションをする為に、完全に酔っ払いのサクラと化したサークルの仲間達が必要以上に大声を出して煽り立て、ますます調子に乗って弾きまくるという状態だった。そして僕のアドリブまで回って来た頃には、客全員がリズムに合わせて、拍手をしていた事を覚えている。
 そんなお膳立ての中、たいして長いアドリブでも無いが、思い切って弾いた時の快感は、
「おおお~、俺、今注目の的。客もノッとるぞ~!うひゃひゃひゃひゃひゃ~~~~」
 と、これまで何度か人前で演奏してきたけれども、それまでに経験が無いほど体中のアドレナリンが沸騰するような快感があったと記憶している。
 高校の頃は、どちらかと言えば一方的な演奏を客に聴かせる自己満足の世界のバンド活動であったが、僕はこのライブ、特に「道草」という曲を通して、客を喜ばせ、客と一緒に楽しむという事が実は一番気持ちがイイと言う事を学んだのだ。
 今回改めて、ジョー・サンプルのアルバム「虹の楽園」から「道草」を聴いてみたが、僕の頭に浮かんでくるのは、やっぱり客と一体になったライブを経験した興奮であった。そして、中学生の頃から現在に至るまで僕が聴いてきた曲の中で、バンドの考え方や演奏時の意識の持ち方の転機となった曲は色々あるけれども、「道草」もそんな中の1曲であることは間違いないと確信し、懐かしさと共に、
「多分、このアルバムはこれからもずっと折りに触れて聴く事になるだろう。」
 そう思ったのだった。
 そうそう、余談になるが、もう一つ思い出した事は、ライブの後、サークルの連中と一緒に明け方まで飲んで大騒ぎした打ち上げの光景と、翌朝、二日酔いで割れそうな頭で始発電車に乗り込み、下北沢の自宅アパートへ帰った事だった。

There are many stops along the way (道草)/ Joe Sample


 
[Music Joe Sample]



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