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土佐のオヤジの音楽昔話 ~ あの頃の曲を聴いてみた ~ 大学2回生の頃
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高橋真梨子の3枚のアルバムで、歌のバックでベースを弾く楽しさに目覚めた話。

2010.01.11 Mon
MONOLOGUE LOVENDOW DEAR


 1983年の4月、僕は大学2回生になっていた。一年前に真っ暗な浪人生活から脱出し、
「あ~あ・・俺もなんとか大学生になれたぞ!」
 なんて思ってから、アッという間に一年の月日が経ってしまい、浪人中とは全く異なる時間の流れの早さに正直驚いていた。
 バンドの方は、多少メンバーの出入りはあったものの、ほぼ元の編成に近い形で再び活動を始め、フュージョン系の曲のレパートリーも増えて、よりパワーアップされていた。
 僕自身も1年前から比べると格段にベースが上手くなった実感があり、あちこちで演奏するたびにノリノリで腰を振って調子に乗っていた記憶がある。
 そもそも僕が中学に入学して以来、ギターだ、バンドだ、ロックだ、フュージョンだ、などと叫びながら音楽にのめり込んでいった根幹には、
「楽器を演奏して人前で目立ちたい!」
 という実に分かり易い思いがあった訳で、この思いは、大学生になってギターからベースに持ち替えた後でも、全然変わっていなかった。そんな訳で、入学後、偶然にも自分が入りたかったバンドに誘われた僕は、
「思いっきりベースを弾きまくって、目立ちまくってやろう!」
 などとスラップや、複雑なアドリブの練習に余念が無かった事を覚えている。
 ところが、1年間このバンドで演奏を続けてゆくうちに、この考え方に変化が出て来た。それは僕の所属していたバンドがフュージョン系の音楽と同じぐらい重要視して、女性ボーカルをメインとした曲を演奏していた事によるのだ。
 今回のお話は、この女性ボーカルをフューチャーした曲を練習する中で、過去に学んだ『楽器を演奏する上で最も重要な事』を再認識し、ボーカルのバックでベースを弾く事の面白さを実感した話をしたいと思うのだ。聞いていただきたい。
 この頃、我々のバンドは4月の末に行われる「新入生歓迎コンサート」に向けて日々練習を繰り返していた。
 「新入生歓迎コンサート」とは言っても、特別大きなステージで新入生を集めて演奏するようなモノではなく、土曜の午後にキャンパスの中庭に小さなステージを作り、僕が所属するサークルのバンドが次から次へと出てきて、ロックだフュージョンだニューミュージックだと何の脈絡も無く延々と演奏するコンサートで、
「その辺を歩いている人に足を止めてもらえばそれで良いのだ!」
 といった完全な自己満足のコンサートであった。
 その上、このイベントにはサークル内の全てのバンドが出演する為に、一組の持ち時間が短く、せいぜい4~5曲しか演奏できないデメリットがあったので、当初僕は
「まあ、レパートリーの中でインパクトの強い曲を4~5曲ドカン!とやればいいんじゃないの?」
 くらいに考えていた。
 しかし、数日前の曲を決めるミーティングで、リーダーでキーボードのK田さんが、
「5曲全部新曲にするぞ!で、歌モノばっかり。全部、高橋真梨子で行こうぜ!」
 なんて事を言い始めたのだ。
 まぁ高橋真梨子の曲は、シンセサイザー兼ボーカルのN本さんが以前から歌いたがっていた事もあり、採用するのは何の異存も無かったのだが、全部歌モノというのは僕個人としては何となく欲求不満だった。
 というのも、それまでの僕は、
あくまでもこのバンドはフュージョン中心のバンドであり、歌モノはオマケなのだ!」
 と考えており、
「なんで、せっかく人前で演奏出来るのに、オマケばっかり演奏するのだ?もっとアドリブいっぱいの複雑な曲をぶちかまそうぜ!」
 そんな事を考えたのだ。
 帰りの電車の中でその辺の不満をK田さんに話すと、彼は、
「お前そりゃあ違うよ。あのさぁ、複雑なフュージョン曲はライブハウスに出た時にでも演奏すればイイのよ。だって、その辺歩いてる学生は、俺達がいくら上手いアドリブ弾いてもピンと来てないんだぞ。そんな事より、セミプロのN本嬢がガツンと歌ってみな、音楽に興味が無い奴でも、振り返るぐらいの事はするよ。」
 こう言ったのだ。
 さて、これは実に真実なのだ。
 だって、バンドの中で歌に勝るパートは無い。
 当時N本嬢は音大を卒業後スタジオでコーラスの仕事をしている半分プロの歌手だったので、彼女の歌の上手さは群を抜いていた。
 K田さんの話を聞いて僕は、
「そうか・・・そういう事か。確かに、客に興味を抱かせないと、いくら演奏しても意味が無いじゃないか・・・。よっしゃ、んじゃあ100人ぐらいその辺の通行人を振り向かせちゃる。」
 と、能天気に頭を切り替えたのだった。
 しかし恥ずかしい事に、この時まで僕は高橋真梨子というシンガーをほとんど聴いた事が無かった。
『昔、ペドロ&カプリシャスで歌っていた渋いシンガーだわなぁ。』
 くらいのイメージしか無く、N本嬢にダビングしてもらった3本のカセットテープを聴くまでは、
「N本嬢も、何であんな地味なシンガーの曲を歌いたがるのだろう・・・?」
 なんて不思議に思っていたのだ。
 ところがドッコイ、僕は1回聴いただけで高橋真梨子に心を奪われてしまった。3本のカセットテープとはそれぞれ、1980年に発表されたアルバム「MONOLOGUE」と1981年発表の「LOVENDOW」、1982年発表の「DEAR」の3枚なのだが、曲も詞の内容も全てが実にイイのだ。そして何と言っても、高橋真梨子の曲はN本嬢の声にそっくりで、想像するだけで上手くいきそうな気がしたのだった。
 早速ベース片手に曲のコピーを始めたのだが、コピーが進むうちに、僕は昔聞いたある言葉を思い出した。それは、ぼくが中学、高校を通して世話になったクラシックギター部の顧問の先生の言葉で、
「ギターは歌いながら弾け!」
 という言葉だった。簡単に言うと、
「旋律を頭の中で歌いながら演奏する事によって、自分の持つ歌心をより楽器に反映させる事が出来る。」
 という意味なのだが、高橋真梨子の曲の数々はまさしく『歌いながら、思い入れたっぷりにベースを弾ける曲』のオン・パレードだったのだ。
 そんな訳で、本番当日までに僕は5曲の歌詞を全て覚えてしまい、練習中は頭の中で歌うばかりか、「ワインのようなKISS」なんて曲は、N本嬢のバックで一緒に歌っていた記憶がある。
 こうなると、演奏中に
「目立とう!」
 という考え方から、
「いかに自分が歌心を持って気持ち良く演奏出来るか?」
 という方に意識が傾き、
「その上で、客を振り向かせ、最終的に目立てば良い。」
 という考え方に変わってくるのだ。
 高橋真梨子の曲との出会いは、
「どんな曲を演奏する時でも絶対歌心を忘れてはいけない。」
 という事を再認識させてくれ、
「いかにボーカルの歌心を盛り上げるベースをバックで弾けるのか?」
 それを考えながら演奏する楽しさを僕に教えてくれたのだった。
 この経験がきっかけで、僕は一年後にはフュージョンから離れ、女性のボーカルをメインにしたバンドへ鞍替えする事になる。そういう意味でも、ここに挙げた高橋真梨子の3枚のアルバムは、僕が聴いてきた音楽の中で、とても重要な位置にあると思っているのだ。
 最後にこの時演奏した5曲を紹介しておきたい。全て名曲。歌心溢れる素晴らしい曲なのだ。皆様、機会があれば是非聴いて頂きたい。

STOP MY LOVE / 「Dear」 より
サンバ・マジック / 「Dear」 より
裏窓 / 「MONOLOGUE」 より
ワインのようなKISS / 「LOVENDOW」 より
FOR YOU / 「Dear」 より

ワインのようなKISS / 高橋真梨子


  
[Music 高橋真梨子]
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浪速エキスプレスの「ジャスミン」で思い出す『困惑のお手伝いバンド』の話。

2010.01.23 Sat
ワインド・アップ

 前回の昔話から大学2回生の頃の事を書いている。
 考えてみると、この大学2回生の頃が僕の人生の中で一番バンドに対して燃えていた時期で、メインのバンド活動以外にもサークル内のいくつかのバンドで、『お手伝い』と称してベースを弾いていた。
 僕は、
「あちこちでの演奏が最終的には自分のベースプレイのセンスを磨く事になるのだな。フフフッ!」
 なんて、自分勝手な思い込みを持ちつつ、とにかく音楽的な密度だけは濃い毎日を過ごしていたのだ。
 さて今回は、この『お手伝い』したバンドの演奏で、一生忘れられない思い出になっている話をしたいと思う。まぁ実に馬鹿馬鹿しい話だが聞いて欲しい。
 4月になると僕が所属していた「M」という音楽サークルにも男ばかり6人の新入生が入って来た。僕は彼等と音楽の話をする中で、フュージョンが好きなギターのT村君という男と仲良くなった事を覚えている。
 T村君は岐阜県出身で、2浪の後大学へ入学したので実際は僕と同い年で、また、お互い地方出身者という事もあり、何となくウマが合い、6月の初めに江古田駅近くの居酒屋で一緒に酒を飲む約束をした。
 当日、僕は店に向いながら、
「T村はギターも上手いし、性格も良さそうだし、何かの時には一緒にバンドやっても面白いかもなぁ・・・。まぁ、今日はゆっくり話をしよう・・・。」
 なんて事を考えていたが、いざ店に入るとT村君の隣に、同じく新人のY田君という男が座っていた。
 T村君が、
「コイツ、K本さん(←オヤジの本名です)と飲むって言うと、勝手にくっついて来たんですよ。」
 なんて言っている。Y田君は、
「俺、K本さんと飲みたかったんですよ~わははははは~。」
 なんて笑いながら、自分の好きな音楽の事をペラペラ喋り始めたのだ。
 僕はこの時初めてY田君と話したのだが、彼は高校時代からアルトサックスを吹いていて、我々と同じようにフュージョン系の音楽が好きとの事だった。
 僕自身も、
「まぁ、T村と2人で飲むより、Y田がいた方が賑やかで面白いかもなぁ・・・。」
 なんて考えて、結局3人で飲む事になったのだが、酒が進むうちに、いい加減うるさいY田君が真っ赤な顔で、
「先輩!バンドやりましょうよ。バンド!メンバーは俺が集めますから。ベース弾いて下さいよ。フュージョンやりましょうよ!フュージョン!」
 なんて大声で言い始め、
「おい!T村、お前ギター練習しろよ!バンドに入れてやるからな。俺の目指すバンドは超技巧派集団のフュージョンコミックバンドだからな!」
 なんて、意味不明な事を叫び始めたのだ。
 僕もT村君も、Y田君があまりにうるさいので、適当に、
「分かった、分かった。フュージョンでも演歌でも民謡でも何でもやってやるよ。」
 などと言って、適当にあしらっていたのだが、最終的にY田君は前後不覚のベロベロ状態になり、しょうがなく残った2人でY田君をT村君の下宿に連れて帰ったのだった。
 T村君の部屋で高イビキのY田君を見ながら、僕とT村君は、
「それにしてもコイツ、めちゃくちゃ酒が弱いなぁ・・・、現役生だからほとんど飲んだ事無いんじゃないの?正味、酎ハイ1杯ぐらいしか飲んでないぞ・・・。」
 なんて事を話していたのだ。
 さて、それから10日ほどして、僕は突然Y田君に学食で呼び止められた。
「先輩、メンバー集まりましたよ。7月のミニコンサートへ出ましょうね。もう4曲ほど決まってますから。わはははは~。」
 なんて事を言うのだ。
 僕はほとんど居酒屋での話なんか忘れていたので、
「おい!お前『出ましょうね』って何よ。俺もメンバーに入ってるワケ!?」
 と聞くと、
「だって、この前OKしてくれたじゃないですか。たった4曲だから。嫌なら1回でやめてイイですから。ね、今度のミニコンサートだけは手伝って下さいよ。」
 なんて言うので、渋々
「分かった、分かった。んで、何をやるのよ?」
 と聞いた後に、Y田君が紹介した4曲は、当時一世を風靡していたT-スクェア浪速エキスプレスの曲だった。
 4曲共にハードルが高い上に、誰もが知っている曲で、ほとんどがY田君のサックスがフューチャーされた曲だったので、僕が、
「おい、お前ホントにそんなのやるのかよ?大丈夫かよ?」
 というと、
「今、必死で練習してますから!わはははは~」
 との事だった。
 この時僕は何となく嫌な予感がしたのだが、Y田君以外のバンドのメンバーが、ギターがT村君、キーボードが女性で3回生のO村さん、そしてドラムが当時ジャズ研でドラムを叩いていた2回生のM岡君と、実にマトモだった事から、
「ほ~~っ、それならやってみるか・・・。」
 と思ったのだった。
 さて、このメンバーでの練習初日。話を聞いてみると、O村さんもM岡君もY田君の強引さに負けて、自分のバンドが忙しいにも拘わらず、
「今回だけだよ!」
 という事で参加したようだった。
 その上、どれも難しい曲だったので、僕を含め全員がこの日までに曲をコピーするのに悪戦苦闘したのだった。
 で、いざ音を出してみると、
「あ~あ~、やっぱりねぇ・・・」
 と思ったが、もう遅い。
 そう、Y田君のサックスがヘタクソなのだ。
 これには参った。メロディーラインのリズムは悪いし、アドリブは音が外れまくって、アドリブになってないのだ。我々がY田君に、
「お前、音外しすぎだよ。」
 というと、彼は、
「これが俺のアドリブなんですよ。アナーキーでしょう?」
 なんて笑っている。我々は呆れ果てて、
「こりゃ~エライ事になったぞ・・・。こんなバンド引き受けるんじゃなかったよなぁ・・・。」
 なんて考え始めたが、Y田君だけはやる気満々で、この日の練習は終始調子外れのサックスが部室に響き渡っていたのだ。
 最終的にY田君以外全員が、
「こりゃ、人前で演奏出来るようなモンじゃないぞ!でも、ここまでコピーしたんだから止めるのももったいないし・・・。」
 そう思い、練習後のミーティングで僕とM岡君が、
「Y田、お前はアドリブ吹かなくてイイから、とにかくメロディーだけキチンと吹いてくれ。曲の主旋律がマトモじゃないと、曲にならんから。いいな。」
 そう言って、その後の練習は、
『Y田君のパートは曲の主旋律だけ!』
 となったのだった。それでもY田君のサックスのリズムの悪さは大変なモノで、一緒に演奏する我々は、練習の度に気分が落ち込むのだった。
 こんな調子の練習だったので、曲の出来は不安だらけで、本番当日、僕は朝から気分が重かった記憶がある。
 さて、この時のミニコンサートとは、我々のサークルが不定期に行う催しで、土曜日の午後に高さ50センチほどの簡単なステージをキャンパスの中庭に作り、その前にパイプ椅子を並べて客席を作り、ウロウロしている学生に自分達の音楽を聴いてもらうコンサートなのだ。
 僕は自分が従来から所属するバンドの演奏を終えて、入れ替わりに次のバンドがセッティングを始める中、ベース片手に楽器置場となっているステージ横の学生会館へ入った。その後に迫った今回の『お手伝いバンド』の演奏の為に、最後の個人練習をしようと思ったのだ。学生会館のホール付近には他のメンバーも揃っていたのだが、Y田君の姿が見えない。僕が、
「あら?Y田は何処行った?」
 と聞くと、
「ん?さっきまでウロウロしてたのに・・。それにしても、あいつ異常に緊張してますよ。大丈夫かな?」
 とT村君が答えた。
 暫くして、戻って来たY田君の手には飲みかけの缶ビールが握られていた。僕が、
「お前、弱いんだから飲み過ぎるなよ!」
 と言うと、Y田君は、
「大丈夫ですよ。リラックスする為ですよ!」
 なんて言っていたが、上半身は裸で少し目が据わっていた。僕はまたも嫌な予感がした。
 そして、いざ本番。
 我々が1曲目に演奏したのは、浪速エキスプレス「ジャスミン」という曲だった。当時、発売されたばかりの「ワインド・アップ」というアルバムの最初を飾る曲で、ドラムとベースのリズム陣がうねる派手な曲だ。「ジャスミン」はY田君が選んだ4曲の中で唯一、ギターが主旋律を弾く曲で、サックスに問題があるバンドとしては、
「滑り出しだけでもマトモに行こう!」
 という考えがあったのだ。
 序盤は上手くいっていた。ところが、主旋律の後のO村嬢のキーボードのアドリブ部分になると、突然Y田君がヘンテコな合いの手を吹き始めたのだ。
 我々が顔を見合わせながら、
「おいおい!Y田、お前、どうした?酔ってるのか?」
 なんて思っていると、突然O村嬢のアドリブに合わせて、Y田君は激しく腰を振って踊り出したのだ。その何とも言えないタコのような踊りを見たサークルの皆は大笑いした。これを
「ウケた!」
 と解釈したY田君はその後も激しく腰を振りながら踊り続け、本来自分が吹くべき部分は例の調子外れの音を炸裂させ、最終的に曲が終る直前に低いステージから客席にころげ落ちたのだ。
 あまりの事に、演奏している方も、見ている方も呆れ返ったが、その後が大変だった。曲が終った後も、うずくまってステージへ上がらないY田君の様子に、サークルの友人達が騒ぎ始め、その後は尋常じゃない痛がり方をするY田君を見て誰かが救急車を呼び、キャンパスは騒然となり、ミニコンサートは中断し、大騒ぎの中で彼は病院へ運ばれて行ったのだ。Y田君は右足首を骨折し、しばらくの間入院する事になり、このバンドは「ジャスミン」を演奏しただけで解散となってしまった。
 その晩、僕はY田君に怒る気力も無くして、
「しっかし、馬鹿みたいな話やなぁ・・・。」
 なんて言いながら、サークルのメンバー達と盛り上がらない打ち上げの席にいた事を覚えている。
 さて、久しぶりに浪速エキスプレスのアルバム「ワインド・アップ」から「ジャスミン」を聴いてみた。古いカセットテープなので少々音が悪いが、当時一生懸命にコピーした思い出があるので、実に懐かしいのだ。
 不思議な事に「ジャスミン」を聴くと、Y田君の顔よりも、回りで困惑するバンドのメンバーの顔が頭に浮かぶ。本来なら、1回の練習で即止めるべきバンドだったかも知れないが、こういう結果になった事で、T村君やM岡君とは卒業まで顔を合わせる度に、『Y田の骨折話』で盛り上がる事になり、今となってはY田君に感謝している。いずれにしろ、初夏の日差しが強いステージで、「ジャスミン」に合わせて上半身裸で踊りまくるY田君の姿は、強烈に頭に残っているのだ。
 それにしても、退院後に松葉杖をついてサークルに現れたY田君の第一声が、
「先輩!また、やりましょうね!」
 だったのには恐れ入った事だった。

Jasmin ~ Believin' : NANIWA EXPRESS 


 
[Music ナニワエキスプレス]



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ジャコ・パストリアスの「ドナ・リー」とフレットレスベースの話。

2010.03.18 Thu
ジャコ・パストリアスの肖像

 大学2回生の頃というのは、僕自身バンドにも音楽にも一番燃えていた時期で、朝起きてから夜寝るまでの間、何かしらの音楽を常に聴いていたような気がする。とは言っても、聴いていた音楽の調達元は、ほとんどが当時住んでいた下北沢にあったレンタルレコード店で、聴いている音楽の幅は非常に狭かった。それでも高校時代の不便な音楽事情と比べると格段の差があり、新しくレンタルしたLPを聴く瞬間は嬉しくてたまらなかった事を覚えている。
 今回は、こんな日々の中でレンタルした1枚のアルバムに衝撃を受けて、結局は2本目のベースギターを手に入れた思い出話を書こうと思っている。お付き合い願いたいのだ。
 まず、僕が通っていたレンタルレコード店をもう少し詳しく説明すると、店は小田急下北沢駅のすぐ近くにあり、間口は狭いが店内はウナギの寝床のように奥が深く、J-POPから洋楽、ジャズに至るまでかなりの品揃えがあった。
 僕は毎回店の一番奥のジャズ・フュージョンの棚に取り付いて、
「今回はどれを借りちゃろか?」
 なんて思いながら、ジャケットをチェックするのが楽しみで、この時も並べられたLPを順番にチェックしていた記憶がある。
 そんな中、ジャコ・パストリアスのソロアルバム、「ジャコ・パストリアスの肖像」に目が止まった。当時このアルバムは発売されてすでに4年ほど経っていたが、僕はまだ聴いた事が無く、この時までに僕がジャコ・パストリアスの演奏を耳にしたのは全てウェザー・リポートでの演奏を通してだった。ジャコに対しては、
「非常に複雑で主旋律ともバッキングとも判断がつかないメロディーを弾くスーパーベーシストや。」
 そんなイメージを持っていて、凄い事は十分知っているが、自分が好きなスラップ系のベーシストとは全く異なる演奏スタイルからか、この時点では、それほど気になるベーシストではなかったのだ。
 何気無しに、
「ああ・・・ジャコのアルバムかぁ~。そういえば時々目にするけど、まだ聴いた事なかったなぁ~。ちょいと借りてみるか・・・。」
 と、軽い気持ちでレンタルし、アパートへ持ち帰った事を覚えている。
 早速、「ジャコ・パストリアスの肖像」をカセットテープへダビングしながら流し始めたのだが、1曲目の「ドナ・リー」で頭を殴られたような衝撃を受けた。元々、ジャコのベースが超テクニカルな事は承知しているつもりでも、この演奏には鳥肌が立って、
「うひゃ~!何じゃこれ?こんな事出来る奴は変態じゃ!病気じゃ!馬鹿じゃ!」
 そんな事をひとしきり叫び、すぐにベース片手に「ドナ・リー」をコピーしようと試みたが、そうは問屋は甘くない。この曲、少々の事では全く歯が立たない程難しいのだ。(←当り前だ!バカ!)
「しっかし、こりゃとてもじゃないが弾けたようなモンじゃないわ~。」
 なんて事をブツブツ言いながらも、この日から「ドナ・リー」を聴いた衝撃が頭から離れなくなり、何度か聴くうちに、ずっと頭の中で「ドナ・リー」が流れるようになってしまったのだ。
 僕は、
う~む・・・。何としても『ドナ・リー』をコピーしなくては・・・。」
 と、思うようになり、ベース片手に果敢にコピーに挑んでは、最初の数小節で挫折する事を繰り返していた。
 さて、今になって冷静に考えてみると、僕はこの時「ドナ・リー」という曲が気に入ったのもあるが、それよりもジャコのベースから流れ出て来る音質の虜になっていたのだ。
 フレットレスベース独特の立ち上がりが遅い音を、強いフィンガリングとブリッジ近くの硬いトーンで非常に粒がそろった魅力的な音質にしている事に感動し、実際は「ドナ・リー」をコピーするよりも、あのフレットレスベース独特の音を出したくてしょうがなかったのではないか?と思うのだ。それが証拠に、その後の僕は、どうしてもフレットレスベースを手に入れたくなり、色々考えた末に、当時使っていたヤマハのベースをフレットレスに改造し、新たにメインで使うベースを購入する計画を立てる事になったのだった。
 この年の夏休みの前半、僕はアルバイトに励み、ベース購入の資金に充てた事を覚えている。当時の僕はジャコに憧れたのは勿論の事だが、それ以上にフレットレスベースを手に入れる事で
「なにかと演奏の幅が広がるんじゃないか・・・?」
 そう考えていて、実際にフレットレスベースを手にするまでは、どんな曲を聴いても、
「これをフレットレスで弾くと、どんな塩梅になるかね・・・?」
 そんな事ばかり考えていた記憶がある。
 「ドナ・リー」という曲は僕にそれまで考えた事も無かったフレットレスベースの面白さを教えてくれたばかりでなく、
「何としてもフレットレスを弾いてみたい!」
 そんな衝動が抑えられなくなる罪な曲だったのだ。
 その後の僕は冬前に待望のフレットレスベースを手に入れて、何曲かこのベースを使い演奏した記憶がある。しかし、どう頑張っても「ドナ・リー」だけはコピーする事は出来ず、そのまま大学3回生の終りの頃にはフレットレスベースには全く興味を無くしてしまい、最終的に後輩にこのベースを売ってしまった。
 今思えば、
「手元に持っていても良かったなぁ~」
 なんて少々残念なのだが、学生時代の一時期、取り憑かれたように必死になった楽器の思い出として、このフレットレスベースの姿は頭にこびりついている。
 さて、今回改めてアルバム「ジャコ・パストリアスの肖像」から「ドナ・リー」を聴いてみた。そもそもこんな曲をコピーしようとするのが大間違いで、大人しく聴いているだけにするべきなのだ。(←こういうのを、弾けない奴の負け惜しみという。)現在聴くと、これに近いベースプレイをするベーシストが何人か頭に浮かぶので、プレイ自体には、
「あっそう!凄いね!」
 くらいの感動しか無いが、(←ひがみも随分入ってるけど。)曲自体からは、あの頃必死でコピーを試みたアパートの部屋の風景やフレットレスベースの姿がボンヤリ浮かんできて、懐かしくてたまらなかった。
 いずれにせよ、今では「ドナ・リー」という曲は僕の音楽人生の中では、ちょっと人騒がせで、迷惑な曲の印象が強く、熱し易く冷めやすい自分の性格を反省させられる曲だと思っている。

Jaco Pastorius - Donna Lee


 
[Music Jaco Pastorius]



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