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土佐のオヤジの音楽昔話 ~ あの頃の曲を聴いてみた ~ 大学3回生の頃
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パット・メセニー・グループの「思い出のサン・ロレンツォ」とサークルを辞めた話。

2014.01.15 Wed
パット・メセニー・グループ

 以前から気になっていたのだが、ここ2年近くも昔話を書いていない。このブログのカテゴリーを見て頂ければ分かるが、昔話は大学2回生のお話が終った所、2012年の2月の更新からストップしたままなのだ。・・・と言うのも、この先の大学3回生から卒業までのオヤジの音楽に絡む記憶は実にあいまいで時期を特定できない断片的な思い出が多い。懐かしい曲を聴く度に色々な事は頭に浮かぶのだが、
「あの情景は、一体いつの事だったろうか・・・?」
 なんて考えても、50才を過ぎてボケた頭にはそれ以上何も浮かんでこないのだ。でも、ここでお話を止めてしまうのは惜しいので、今回久しぶりに昔話を書く事にする。少々記憶があやふやで、年代的におかしな話が出てくるかも知れないが、どうかご勘弁願いたい。それでは久しぶりにお話の再開なのだ。

 1984年の春、僕は大学3回生になっていた。普通3回生と言えば部活動やサークルの実質的な権力を握る一番気持ちの良い学年であるが、この頃の僕は暗い気分で日々を過ごしていた事を覚えている。と言うのも、当時の僕は3回生になるまで他大学の人間ばかりとバンドを組んで活動していた経緯から、所属していた音楽サークル内で要注意人物のレッテルを貼られ(←その辺の話はこちらです。)3回生になってもサークル内の人間関係が上手くいっていなかった。一方で2年間続けてきたバンドはメンバー2人が脱退して立ちいかなくなり、その上サークル自体の音楽性がこの頃から自分の好きな音楽とかけ離れたロック色が強い傾向に向かい始めた事などが、この暗い気分の原因であった。
「どうも居心地が悪くなってきたなぁ・・・。」
そんな事を考えている頃、僕は一人の先輩から飲みに誘われた。
 この先輩はM平さんという人で、サークル内では『主』と呼ばれており、4回生ではあるのだが、この時は3度目の4回生をやっていた。サークル内では大先輩であるにもかかわらず、偉そうなところは全くなく、いつも部室の前の通路でオンボロのフォークギターを抱えてタバコを吸っていたのを思い出す。M平さんは会えばいつも、
「金がない、金がない!」
 と騒いでいたので、飲みに誘われた事にかなり驚いたのだが、よく聞いてみるとつまりは、
「安いウイスキーが手に入ったので、俺のアパートへ飲みに来い!」
 って話であった。
 まぁ飲む事自体、何でもOKの僕なので、その日の夜、大学のすぐ近くのM平さんのアパートへ行ったのだが、安いトリスウイスキーを飲むほどにM平さんは僕に説教じみた口調になり、
「何故お前は他の3回生や4回生達と上手くやっていけないんだ?」
 とか、
「バンドに誘われたらとりあえずは何でも参加しろよ。」
 とか、
「そもそもうちのサークルはロックをやるサークルなんだから、フュージョンが好きならジャズ研へ行けよ。」
 とか、まぁカラミ半分、説教半分で言いたい放題の事を言われたのを覚えている。
 でも、考えてみれば無理もない話で、僕は大学に入ってからの2年間、サークルの部外者をどんどんバンドに引き込み、一方でこのサークルが慢性的なベーシスト不足なのを知りながら(←僕を含めてベース担当は2人だった)誘われるバンドを全て断り、サークルの皆がロックに傾倒しているのを、
「あいつら中学生レベルやわ・・。」
 なんて馬鹿にしてきた経緯があるのだ。そんな事から、僕を見かねたM平さんはわざわざ一対一で話が出来る場を設けてくれた訳で、今考えるとM平さんは酒を飲まないと本音が言えないシャイな人間だったと思うのだ。しかし、人生経験が浅く酒の事しか考えないアホな若者(←僕の事です)は、そんな事に頭は回らない。当初はM平さんの話に、
「はいはい。」
 なんて適当に相槌を打っていたのだが、だんだん相手をするのが面倒臭くなり、僕は明け方に彼のアパートを逃げ出し、近くの西武線の江古田駅で始発が動き出すのを待っていた。この時ウォークマンで聴いていたのがパット・メセニー・グループ「想い出のサン・ロレンツォ」である。
 まだ夜が明けていない駅前のガードレールにもたれて、少し酔った頭で聴く「想い出のサン・ロレンツォ」からは、何か新しい世界の幕が開き、いつでもその世界へ駈け出せるような感覚を得て、全身に鳥肌が立つような感動を覚えた記憶がある。そしてこの時僕は、
「このサークルを辞めよう!」
 そう決心したのだ。
 サークルを辞めるという事は、バンドの練習場所と大学での居場所を無くすという事だが(←まぁその頃はサークルの部室は既に自分の居場所じゃなかったけど。)僕の頭の中では、
「もういいや・・・。」
 そんな思いが、M平さんと酒を飲んだ後で大きく広がっていたのだ。
 正直言えば以前から、サークル内での人付き合いよりも、サークル外、大学外の人間との付き合いの方が僕には断然面白く、なおかつそこには自分がやりたい音楽に近いモノがあるような気がしてならなかったのだ。
 僕はそれから一ヶ月程して6月の終りにサークルの代表だった同級生に辞める事を告げた。少し引き止められたが、僕が、
「ここで俺はやっていけないよ。」
 そう言うと、
「まぁ、分かる気がするよ・・・。」
 そう同級生は言ってくれたのを覚えている。
 そんな訳でその後の僕は、明け方の江古田駅をウロウロする身の置き場の無い自分の姿が頭に浮かぶのが嫌で、「想い出のサン・ロレンツォ」が収録されたアルバムをほとんど聴かなくなった。そして最終的にこの曲の事は、記憶の彼方へ忘れ去っていたのだ。しかし今回、この記事を書くのにサークルを辞めた経緯を思い出す中で、
「ああ、そうだった!そうだった!」
 とまぁ、改めて「想い出のサン・ロレンツォ」が頭に浮かんだ次第なのだ。
 で、久しぶりにぶりに聴いてみました。アルバム「パット・メセニー・グループ」より、「想い出のサン・ロレンツォ」
 いきなり細かい話で申し訳ないが、この曲は、メロディーラインで訴えかけてくる従来のフュージョンとは異なり、パット・メセニー独特の、楽器の響きとアンサンブルで独自の世界を形作る楽曲であり、ここにパット・メセニーの音楽の原点を見るような気がする。そして、今回オヤジはこの曲から、乾燥した広い大地を駆け抜ける躍動感あふれる馬を見るような気がした。(←午年だからって事じゃないよ!)改めて思うに、「想い出のサン・ロレンツォ」は非常に爽やかで、かつポジティブな印象を与える曲だ。当時サークルを辞める決断を下すのに、この曲が背中を押したような印象をオヤジはずっと持っていたのが非常に分かるような気がするのだ。
いずれにしろ、久しぶりに聴く「想い出のサン・ロレンツォ」は、あれから30年近い年月が経過してもオヤジに爽快感、躍動感、そして広い草原を進んでゆくような元気を与えてくれる。ずっと聴いていなかった一曲だけど、オヤジの思い出の一曲である事は間違いないのだ。
 さて、話は変わってM平さんはこの1年後、僕が4回生になる時に、大学を卒業する事無くキャンパスを去って行った。宮城県の実家へ帰るとの事だったが、その後の消息は分からない。今思うに、当時もうちょっと僕が大人であれば、あの夜だまって姿を消した件をM平さんに詫びる事が出来たのに・・・そう思うと残念でならない。

San Lorenzo - Pat Metheny Group


 
[Music Pat Metheny]

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フローラ・プリムの「サンバ・ミッシェル」で思い出す、ライブ無きセッション・バンドの話。

2014.10.24 Fri
エヴリデイ・エヴリナイト

 久しぶりに昔話を書いてみようと思う。前回のお話を書いたのが今年の始めなので、ボヤボヤしてるうちに9ヶ月も時間が経過してしまった。そんなわけで先を急ぎたいのだ。
 僕は、1984年の6月に2年間程在籍した軽音楽サークルを辞めた(←その辺の話は前回の記事で)。原因は、僕が自分の大学以外の学生をどんどんバンドに引っ張り込んで金も払わず部室で練習を繰り返し、一方でサークル内の様々なバンドに誘われてもそれを断り続けた事にあった。その上、この部外者ばかりのバンドがメンバー2人の脱退で活動停止状態となり、時期を同じくしてサークル全体の音楽志向がロックへ傾いて行く中で、最終的には自分の居場所が無くなったのだ。そんな事から自然と足は大学から遠のき、僕の生活は、必要な授業とゼミの時間以外は大学にいない毎日となっていった。
 ・・・とまぁ、こんなふうに書くと、
「おい!ずいぶん寂しそうじゃないかよ!」
 なんて思われるかも知れないが、実はそうでもなく、音楽的には結構楽しい毎日を送っていたのだ。
 その辺を説明すると、僕は色々な大学の学生をバンドに引っ張り込んだ経緯から、自分の大学以外の軽音楽サークルの人間を何人か知っていた。特に西武池袋線の江古田駅を挟んで僕の大学とは反対側にあったM音大には知り合いが多く、僕はこのM音大の構内を頻繁にウロウロしていた記憶がある。
 そんな音大絡みの友人にH本君という人物がいた。彼はM音大のピアノ科に籍を置く3回生で、何度か江古田の呑み屋で彼の友人達を交えて酒を飲んだ事があった。そんな経緯から、この頃の僕はH本君が主催するサンバ系のバンドでベースを弾いていた。で、毎度の事ながら前置きが長いが、今回はこのバンドとH本君の話を聞いて欲しいのだ。
 さて、僕が参加していたこのバンド、女性ボーカルがメインで、キーボードがH本君ともう一人、他にはギター、ドラム、そして僕のベースと6人編成であった。ボーカルのYちゃんとキーボードのH本・S田の3人はM音大の学生、ドラムは僕と同じ大学のジャズ研の3回生でM岡君、ギターは1年前に某大学を卒業したフリーター(←名前忘れた・・。)であった。
 とまぁこう書けば、このバンド、いかにも普通だが、実際はこの6人で練習が行われた事は1度もなかった。H本君が練習の度に色々な人間を連れてくるからだ。それは、トランペットやトロンボーン、サックス等のブラス系の人間だったり、半分プロのパーカッション奏者だったり、コーラスと称して数名の音大生の女の子を参加させたりと、とにかく練習に行ってみるまで誰が現れるか分からないのだ。そんな調子なので、バンド練習というよりもセッションに近く、毎回新しい人間と顔を合わせて刺激的な一方で、
「これはバンドってモノなのか?」
 なんて疑問が頭に浮かぶ毎日であった。
 このセッション的なバンドの練習で一番記憶に残っているのがフローラ・プリム「サンバ・ミッシェル」という曲だ。この曲は高速でうねるサンバのリズムが特徴で、ホーンセクションとパーカッション、そして女性コーラスを入れると、実に盛り上がる気持ちの良い曲だ。僕は元々サンバ系のフュージョンに興味があったので「サンバ・ミシェル」が一発で気に入り、
「おお!俺の目指す音楽はコレじゃ!ココにあったか!」
 などと、当時は馬鹿みたいに興奮していたものである。
 この頃の僕は、自分の大学の軽音楽サークルを辞めた事で練習場所を無くした不安がある一方で、お手伝い程度に参加したH本君のバンドが俄然面白くなり、
「なんとかこのバンドを成功させようじゃないか!」
 なんて事を考え始めていたのだ。そして、この考えはドラムのM岡君も同じで、手前味噌ながら2人共、
「このバンドでライブをやれば絶対にウケる!」
 そう信じて疑わなかったのだ。
 そんなわけで、我々2人はある日の練習の後でH本君を江古田駅前のマクドナルドへ誘った。梅雨の時期で、肩からかけたベースのケースが酷く濡れていた記憶がある。
「嫌な雨だなぁ・・・。」
 なんて思いながらコーヒーをすすりつつ、我々2人はH本君に、
「このバンドでライブハウスへ出ようぜ!絶対にウケるって!」
 そう力説したのを覚えている。
 ところが意に反して、H本君の反応はイマイチだった。
「えっ!俺、人前で演奏しようなんて思ってないんだけど。」
 なんて事を言い出すのだ。
 詳しく話を聞くとこうだ。そもそもH本君の中でのバンドの位置付けは、自らが本業で勉強しているクラシックピアノに飽きた時の息抜きであり、週に1回か2回、サンバが好きなメンバーが集まって音が出せればそれで良いとの事なのだ。その上、自分は苦労してチケットを売ったり、バンドのとしての結束的なモノに縛られるのは嫌だという事であった。
 こう言われてしまうと、我々2人は意気消沈するしかない。M岡君と二人、
「・・・ったく、音大生の考える事は俺には分からん!」
 なんて文句を言いながら、この日は帰路についた事を覚えている。
 しかし今になって考えてみると、バンドに対するH本君と僕の温度差はよく理解出来るのだ。僕は単に人前で演奏し、ウケる事をバンドの目的としていたわけで、当時バンドをやってる大学生の大半は僕と同じ考えだったと思う。しかしH本君は音大生だ。ピアノを職業として生きて行く事を前提としており、この段階では人前でウケるなんて事よりも、将来の為にピアノの練習を優先する事が重要であり、その厳しい練習の息抜きにバンドが存在したのだ。当然、僕とは根本的にバンドに対する考え方は異なり、『ライブをやろう!』なんてヤヤコシイ話を持ってこられるのはH本君にとっては実に迷惑な話だったのだ。
 その後このバンドでのセッション的な練習は夏休みを挟んで11月頃までずっと続いた。「サンバ・ミッシェル」をはじめ、色々な曲を練習して、その都度大いに盛り上がったが、僕はこの間ずっと残念でならなかった。と言うのも、このバンドは、それまで自分がベースを弾いてきた中で最も音のまとまりが良く、個々の楽器のテクニックも非常に高かったからだ。毎回練習終りにドラムのM岡君と交わす会話は、
「もったいないよなぁ・・・。」
 ばかりだったと記憶している。僕は、
「H本の負担を無くしてお膳立てをすれば、彼もやる気になるだろうか?」
 とか、
「自分の大学の学園祭に紛れ込んでゲリラ的に演奏するか?」
 とか、色々な事を考えたのだが、結局人前での演奏は実現する事無く、このセッション・バンドは終ってしまった。そして、同時に僕とH本君との交流もこのバンドと共に終ってしまったのだ。その後、江古田駅で何度か彼を見かける事はあったものの、少し言葉を交わす程度で、以前のように酒を飲んだり、サンバの話をする事は無かったように記憶している。
 ・・・とまぁ、そんな事を思い出しながらフローラ・プリム「サンバ・ミッシェル」、久しぶりに聴いてみました。で、最初に思ったのは、
「俺、こんなに難しい曲のベース、よく弾いてたなぁ・・・。」
 って事。スピードと言い、リズムと言い、自分がこの曲をコピーした事が信じられないのだ。
 一方で頭に浮かんで来るのはM音大の小さな部屋で、酸欠になりそうなくらいたくさんのメンバーでセッションをしている風景だ。今考えれば、皆楽しそうではあったが、どことなく冷めていたような気もする。そんな中、一人ノリノリでベースを弾く自分の姿を思い出すのは、ちょっと恥ずかしくもあり、懐かしくもあった。そして、普通なら記憶の彼方に忘れてしまうであろうH本君という友人をはっきりと思い出させてくれる「サンバ・ミッシェル」という曲に感謝したいと思ってしまった。音楽の力って凄いと思いますね。

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Flora Purim Samba Michel


 
[Music Flora Purim]

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