ザ・スクェアの「マジック」で思い出すバブルの予感と忘年会の話。
久しぶりに昔話を書いてみようと思う。
前回は1983年の秋、大学2回生の学園祭でフレットレス・ベースを鳴らして喜んでいた話をしたが、その後の僕は特にライブの予定も無く、バンドの練習もしばらくの間休みとなっていた。
学園祭が終った後の大学のキャンパスは、銀杏の落ち葉が木枯らしに舞い、人影もまばらで、まさしく“冬一色”となってしまう。僕自身もあまり大学へは顔を出さない生活が続き、下北沢のアパートの一室で、
「う~~む、何か暇になったよなぁ・・。」
なんて思いながら、悶々とした日々を送っていたのだ。
そんな中、たまたま大学のキャンパスを歩いていると、1年先輩で3回生のOさんから、
「お~!いたいた。ちょっと頼みがあるんだけど、いいかな?」
そう声をかけられて、僕は所属する音楽サークルが溜まり場にしていた学食の一角へ連れて行かれた。
そこには、いつものように3回生を中心としたサークルのメンバー数人が溜まっていて、僕がOさんと一緒に現れると、全員が
「あれ?」
という顔をしたのを覚えている。
と言うのも、少し前から僕はこのサークル内で“要注意人物”と見られているフシがあり、何となく気まずくてこの学食の一角へ近づく事が無かったからだ。
何故僕が“要注意人物”と見なされたかを説明すると、大学1年の時に僕が参加したバンドは、その後メンバーがどんどん入れ変わり、この頃は他大学のメンバーがほとんどの状態になっていた。そして、彼等は正式に我々のサークルに加入している訳では無く、部室の機材使用料は払うが、部費を払うという事はしなかったのだ。そんな事から、他にも外部者がいるバンドはいくつかあったが、外部の学生がウヨウヨいる僕のバンドは、真面目にサークルを運営しようとする3回生達にとっては、
「ロクに金も払わずに練習だけしやがって・・・。」
とまぁ、非難の的になっていた訳だ。
僕はバンドのメンバーに、サークル内から文句を言われている事を話したが、逆に僕が彼等の大学の部室で練習をする時に、
「部費を払え!!」
なんて言われた事は一度も無かったので、強く言えない事情があった事を覚えている。
話を元に戻すが、サークルの面々のちょっと嫌な視線を無視して僕が学食の椅子に坐ると、Oさんは早速、
「あのさ~、年末に忘年会用のバンドやるんだけど、ベース弾いてほしいのよ。」
そんな事を言い始めたのだ。
「え!?俺がですか?」
確かそんな事を言った記憶がある。と言うのも、バンドのメンバーを聞くと全員が僕のバンドに対して批判的な人物ばかりで、僕をバンドに誘う事自体、全く信じられなかったのだ。
「こいつら一体何考えとるんやろ?」
そんな事を思いながら、よく話を聞いてみると、本来このバンドでベースを弾く予定の3回生のMさんが冬休みの間に手術を受けるとかで都合がつかず、それなら外部から誰か連れてくれば良いのだが、普段、
「外部の人間も部室で練習したいなら部費を払え!!」
なんて偉そうな事を言ってる手前、すぐにサポートメンバーも見つからず、しょうがなく僕に声をかけてきた事が分かったのだ。
当時、時代はバブル景気へ向かう途中にあり、毎年のようにOBが就職した企業から我々のサークルへクリスマスパーティーや忘年会での生演奏の依頼が来ていた。当然これには幾らかのギャラが支払われるので、
「好き勝手に演奏出来る上に金が貰える!」
となれば、我々にとっては実に面白い遊びな訳で、毎年幹部クラスの3回生が臨時のバンドを組み、年末までの3~4本のパーティーをこなすのがサークルの習わしとなっていた。
僕は色々考えた末に、この話に乗る事にした。理由は単に暇だった事もあるが、無意識に、
「これを契機に先輩達に少し恩を売っておいて、僕の所属するバンドを大目にみてもらいたい!」
そんな気持ちが働いた事もあったと思うのだ。
まぁ、そんな訳で、僕は急遽忙しくなった。引き受ける事を了承した2~3日後に10曲ほどの演奏曲の入ったテープを受け取り、その後はアパートの部屋で必死にコピーに励んだ事を覚えている。
さて、本番当日。その年依頼されたパーティーは計3回で、記念すべき第一回目は当時上野にあったタカラホテルが会場で、不動産会社の忘年会での演奏であった。
こういう宴会は大体が、
『社長の挨拶 → 乾杯 → 暫く歓談 →ゲームコーナー → また暫く歓談 → 一本締め → 解散』
となるのが常で、我々生バンドの役目は、この『暫く歓談』の部分で曲を演奏する事なのだ。具体的には、
『最初はBGM的な静かな曲でスタートし、宴もたけなわ、客の酔いが十分回った頃になると、ノリの良い曲をガンガン演奏して盛り上げる。』
というのが一つのパターンであった。
この時演奏した曲で一番頭に残っているのが、ザ・スクェア(←現在のT-スクェア)の「マジック」という曲だ。
知ってる人も多いと思うが、当時流行りのフュージョンを代表するかのような曲で、ポップで非常にノリが良く、盛り上げるにはもってこいの曲だ。
この時の忘年会でも、ギターが「マジック」のイントロのカッティングを始めると、若手社員の連中から歓声が上がり、何人かが酔って踊り始めた事を覚えている。
我々はこの曲を終盤に演奏する事に決めていて、立食パーティーの場を最後はダンスフロアにするべく、毎回酔っ払った客達を「マジック」の演奏で必死に煽っていた思い出がある。そして有難い事にこの曲にはベースソロがあり、軽薄を絵にかいたような学生だった僕は、
「うひゃひゃひゃひゃ~俺って超カッコイイもんね~」
なんて自己満足に浸りながら、
「よ~~しゃ!皆の衆、楽しんでくれ~~!」
とばかりに、腰を振り振り演奏していた事を覚えている。
さて、話は現代に戻るが、
「あの頃の俺ってホント軽薄だったよなぁ・・・。(←今でもそうかも知れないけど・・)」
なんて思いつつ、先日久しぶりに「マジック」を聴いてみた。
毎度お馴染の古いカセットテープで音は最悪なのだが、曲が進むにつれて、この時のバンドのメンバーの顔が次々に頭に浮かんで来る。そしてタカラホテルの宴会場で踊るスーツ姿のサラリーマン、彼等に対してヤンヤの声援を送り手拍子するOL達、演奏の合間にビールのおすそ分けをもらい嬉しかった事、その後打ち上げで行った上野の焼肉屋の煙と韓国焼酎の味・・・いやはや、頭に浮かぶ光景は尽きないのだ。
しかし僕は「マジック」という曲から、今回お話しした忘年会でのバンドの風景ばかりが頭に浮かぶ訳ではない。その後世の中がバブル景気へ走り始める『何となくキラキラした当時の社会の息吹』のようなものが感じられてならないのだ。事実、このような企業の忘年会やクリスマスパーティーはその後どんどん派手になり、世の中はバブルの絶頂に向って進んでゆく訳で、今回久しぶりに「マジック」を聴いて、
「この曲は、キラキラと輝き始めた社会の一端を、会社の忘年会という場を通して、初めて僕に見せてくれた貴重な存在なのかも知れない・・・。」
ふと、そう考えた事だった。
THE SQUARE - IT'S MAGIC
[Music T-スクウェア]




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羨ましいなぁ。
読んでて羨ましくなってきちゃいました。
T-スクェアのライヴには何度か観に行き
「マジック」はいつも最後に演奏されて
盛り上がっていましたよ!
>ぶらうん様
「マジック」って懐かしいですよね。
私の場合、上記以外にも色々な事が思い出されます。
その辺は、また今度書いてみたいと思ってますけど。